2017年冬アニメ、個人的な期待作紹介

 2017年が始まってしまいました。もうぼちぼち新アニメも始まっているようなのですが、個人的に期待しているの作品をいくつか紹介していきたいと思います。

 『アマガミ』原作の高山犀星氏が、キャラ原案とシリーズ構成&脚本を手がけるというオリジナルアニメです。高山犀星氏は『アマガミ』では、企画からシナリオはもちろん、システム設計やキャラクターデザインまで手がけるというハイブリッドどころじゃない多才さでした。
 『アマガミSS』同様、オムニバス形式になるとのことですが、高山氏自らがキャスティングしたというあやねること佐倉綾音ほかの声優陣がとにかく見どころでしょう。あやねるもそうですが、木村珠莉さんや井澤詩織さんらが出ていることも個人的に楽しみです。あとは、三上枝織さんも意外性のあるキャラで楽しみの大きいキャラなので期待できます。
 問題は、ゲーム畑(特にエロゲ関係)出身の脚本家が手がけるオリジナルアニメが、『まどマギ』以降あまり当たっていないことは気になります。なので、エロゲを経ていない高山氏が、ゲーム原作ではなくアニメに最適な脚本を描いたら……という期待感もすごく高いです。
 キャラデザが、『はたらく魔王さま!』監督の細田直人氏というのも「?」なのですが、アニメーターとしても評価の高い人なので、ビジュアル面でも期待の大きいタイトルです。ただ、『アマガミSS』の制作元だったAICは既になく、Studio五組×AXsiZが制作とのことですが、『紅殻のパンドラ』はビジュアル的に及第点だったこともあり、そこは減点にはならなさそうな気がしています。
 放送網の貧弱さは気になります。BS-TBSはあるものの、地上波放送局のネットが弱い(関西はサンテレビのみかつ、中京地区の地上波が無い)あたりは不安材料でもありますね。TBSのこれ賭け度が弱いのか、BS-TBSがありますし各種配信サイトが網羅されていることで代用できるという目算もあるのかもしれませんね。

  • 亜人(デミ)ちゃんは語りたい

 ペトス氏原作で、A-1Pictures制作のアニメです。『小林さんちのメイドラゴン』あるいは『モンスター娘のいる日常』と近い作品になるかもしれませんが、人外キャラたちが織りなすコメディ作品です。
 書店では目を引く表紙絵ですのでおためし版を読んでみましたが、キャラクターは立っていますし、亜人とはいえ見た目はかなり可愛いですし、テンポの良さそうな掛け合いで進む内容でもあって、1話1話の内容を濃くした感じで上手くアニメ化出来れば、『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金』『学戦都市アスタリスク』などのキャラデザを手がけている川上哲也氏のキャラデザで、いわゆる売れるA-1アニメのキャラデザを踏襲しているのは、プラスと出るかマイナスになるか……。アニメで映えるのではないかと思う一方で、原作絵が良いだけにあまり雰囲気は引き継げていなさそうなのがマイナスになるかもしれません。
 シリーズ構成と全話脚本を、どんな作風のアニメも手がける吉岡たかをさんが手がけるという安心感はあります。キャラデザは重要だと思っている自分にとっては、期待半分不安半分なところがあります。

 ショートアニメにもなった『旦那が何を言っているかわからない件』のクール教信者氏原作で、京アニこと京都アニメーションの新作です。ぶっちゃけ、それほど売れるアニメになりそうにもないと原作読者さんにも言われてしまいましたし、『甘城ブリリアントパーク』が不評だった武本康弘監督作品というマイナスイメージもあるとも。
 ただ、自分としては、キルミーベイベー田村睦心さんが京アニ作品の主人公として起用された、という感慨深いものがありますし、京アニが、ギャグではなくコメディな作品として、最もちょうどいいポイントは何処か、というのを探るような作品にもなるような気がします。
 『旦那……』は結構面白みもあり、かつ夫婦生活の生々しさも描いた作品だったようにも記憶しているので、ドラゴンが同居するこの作品はその辺がどうなのかとか、生々しさとは縁遠い京アニにアジャストしているのかとかは気になっています。
 単純に、コメディとして面白いアニメになっていれば満足できると思うのですけど、確信できるとまではいかない感じです。

 ぐーたらしてる天使のコメディですかね。安心の太田雅彦&あおしまたかし動画工房というトリオですし、それだけで一定の面白さやクオリティの保証があると思います。
 原作読者の知人によると、静岡の浜松ご当地アニメになるとのこと。浜松といえば、次回の大河ドラマ『おんな城主直虎』の舞台でもあります。流行を先取りしたアニメになる(?)という期待もあるでしょうか。
 個人的には、天使キャラに花澤香菜が起用されることが注目です。ビジュアル的に、あるいはドSという性格的に、『かんなぎ』のざんげちゃんなのか、あるいは『Angel Beats!』の天使ちゃんなのか……。そういう部分でも楽しみがあります。
 うまるちゃんあたりとへの既視感を超えられるのか、だとか、今までの太田雅彦&動画工房作品と差別化できているのかどうかとか、その辺は気になりますね。気楽に楽しめるのか、没入感は生まれるのか、その辺がクリアされれば、もしかすると『ゆるゆり』くらいにはなれるかもしれません。

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 まだまだ、2017年冬アニメには面白そうな作品はあると思いますが、個人的にざっと観た感じ、これらが面白そうだなと思いました。逆にこれらが全部コケてしまえば、また今期もしんどいクールになるのかな……とも感じていますので、面白いアニメであることを期待しています。

映画『聲の形』誕生のルーツは、アニメ『日常』にあり?〜製作主導から、制作主導のアニメ作り

 原作もののアニメ化の流れは、『SHIROBAKO』を観ている方ならわかるかと思いますが、制作会社のPと製作会社のPがタッグを組んで、原作元へ「この作品をうちでアニメ化させてください」とお願いするのが基本的な流れのようです。となると、京アニは『聲の形』のアニメ化を打診する際に、ポニーキャニオンと一緒に講談社に行ってお願いしたのではないかと推測されます。ポニーキャニオンはご存知の通り『進撃の巨人』などで講談社とはパイプがあります。まあ、出版社レベルで京アニのブランド力が通用するのかどうかはわかりませんが、版権担当者(ライツと呼ばれているアニメの製作に関わる人たち)なら京アニのことはよく知っているでしょう。
 そもそも、何でこの『聲の形』をアニメ映画にしようとしたのか、もありますよね。原作はそれなりに有名で、かつ扱いの難しい題材を含んでいるものですが、何故京アニが「自分たちでアニメ映画として制作したらヒットさせられる(かもしれない)」と踏み切れたのか、です。
 個人的には、高尚なテーマだったり、自分たちの得意分野(技術的なもの)が生かせる作品だから、という感じには見えなくて、むしろこの『聲の形』が、アニメ映画としてヒットさせられる絵が描けていたのではないか、と観ています。
 京アニという制作会社は非常に特殊で、作画が素晴らしい的な部分や、過去にも大ヒットアニメを何本も抱えているブランドイメージも、他所にはない強みとして持っていると思いますが、徹底的にビジネスライクに考えているところもあると思っています。要は「売れなきゃ意味が無い」ということです。いわゆる、スーパーアニメーターやカリスマ演出家のオナニーのようなアニメと、方向性が真逆とさえ言えると思っています。その転換点となったのが、『日常』だったのではないか、と考えています。
 『日常』は角川書店から出ている漫画が原作のアニメで、『けいおん!!』の後に満を持して放送されました。当時の京アニといえば、その『けいおん!』や『CLANNAD』などのKey作品、『涼宮ハルヒ』シリーズや『らき☆すた』といった作品を続々と送り出していた、まさに京アニブランドのピークでした。そのタイミングでの『日常』だったので大いに期待されていましたが、結果は……。失敗と決めつけるのはダメかもしれませんが、ただ少なくとも円盤は売れませんでしたし、失望したアニメファンも多かったのではないかと観ています。
 アニメ『日常』の問題点は色々とあると思いますが(原作からしてシュール系ギャグなので、京アニ以外が手がけても売れなかったと推測)、一番の問題は技術力を見せつける方向に走ってしまったからではないか、と考えています。要はくだらないギャグの1つ1つを、とても凄いカロリーをかけた作画や演出で大仰に描いていたわけですが、面白さに繋がっていないと感じたからです(個人的な見解です)。そして、そういう評判も吸い上げているのではないか、とも推測されますので、これ以降、ギャグメインの作品を手がけなくなったのかなとも考えています。
 また『日常』では、製作の角川書店との関係悪化に繋がったとも考えられるいくつかの炎上案件がありました。その1つが、角川製作アニメでは重用される傾向のあるプロダクション・エースの声優を優先的に起用したキャスティングの主導権の問題と、円盤に付ける特典映像がほとんどアニメと関係のない誰得なものだったなどです。これらは些細なことなのかもしれませんが、同じ角川製作だった『氷菓』では、それらが恐らくは京アニ主導のものへと変わっていることから、原因の1つくらいにはなっているのだろうと思いました。
 『日常』以降の、京アニの角川製作アニメは、前述の『氷菓』と『甘城ブリリアントパーク』の2本に留まっており、自社レーベルの京アニエスマ文庫の作品を、京アニが製作委員会筆頭になって次々とアニメ化するようになりました。それらが全て「売れなきゃ意味が無い」作品とは思えないものもありましたが、『中二病でも恋がしたい!』や『Free!』のヒットにより、京アニは製作会社に頼ること無く自活していけるようになりました。京アニが製作側からのお願いでアニメを作る制作会社ではなく、自分たち主導でアニメを作る路線へと本格的に変更したキッカケになったのは間違いないだろうと思いますし、もし『日常』がヒットしていたら、『中二病でも恋がしたい!』はともかく、『聲の形』は制作すらされていなかったのではないか、とさえ考えてしまいました。

ニュータイプ 28年10月号

ニュータイプ 28年10月号

映画『聲の形』のヒットが引き起こす(?)、テレビアニメ界の様々な意味での空洞化への懸念

 『君の名は。』に続いて公開された、京アニこと京都アニメーション制作の漫画原作もの『聲の形』も、既に興行収入が10億を超える大ヒットとなっているようです。京アニ山田尚子監督といえば『けいおん!』もありますが、映画の前作である『たまこラブストーリー』では興行収入が最終でも1億3000万円ほどだったことを考えると、『聲の形』での数字がすごいものだということがわかると思います。元々、原作そのものが人気で知名度が高かったこともあるのでしょうが、原作がいくら売れていても、わざわざお金を出して映画を観に行こうという人とイコールになるわけではありません。京アニとか山田尚子監督とかに期待して観に行くような人も少数でしょうから、プロモ段階から成功していた、あるいはそれだけ特別な人気のある作品(の映像化)だった、ということなのでしょう。『君の名は。』のほうは興行収入100億円突破というとんでもない数字になっていますし、昨年?の『ガールズ&パンツァー劇場版』のヒットもありましたので、いよいよアニメ映画の流れが来ているような気がします。
 ただ気になることがあります。それは、『君の名は。』も『聲の形』も、どちらもテレビアニメを経ないアニメ映画化でヒットを記録していることです。新海誠監督は元々テレビアニメを作る人ではないので影響は少ないかもしれませんが、京アニ山田尚子監督は元々はテレビアニメを作っていた制作会社と監督です。その制作陣が、テレビアニメという土台を作らないまま、いきなり映画という媒体で公開してヒットさせた、ということなのです。何が問題なのか? 以下に書きたいと思います。

  • テレビアニメをヒットさせる確率の高い監督や制作会社が、テレビアニメをやらずにアニメ映画に注力してしまう

 これは非常にジレンマだと思います。というのも、アニメ映画って多くの場合、テレビアニメよりはコストとか手間をかけた作画ほかで作られるものです。尺としては90分〜2時間前後とテレビアニメの1クール分よりは短いものですが、コストとか労力を考えると、テレビアニメ1クール分と同等か、あるいは上回るものがある可能性もあります。となると、映画1本作っている間は、その制作陣はテレビアニメを1クール分作れないということになります。監督も同様です。より作家性の強い監督であればあるほど、例えば映画とテレビアニメを同時期に掛け持ちすることなど不可能です。つまり、『聲の形』という映画を作ることにより、京アニ山田尚子監督のテレビアニメが1本観られなくなった、ということにもなります。
 これは『聲の形』みたいな作品だけでなく、テレビアニメのヒットを受けて作られるようなアニメ映画でも同様のことが言えると思います。前述の『ガルパン』では、水島努監督という日本で一番忙しいアニメ監督が、ある程度の時間を『ガルパン劇場版』に注ぎ込んで何とか完成させたわけです。が、そのことにより、やはりテレビアニメ1本分くらいのスケジュールが無くなったと推測されます。『心が叫びたがっているんだ。』の長井龍雪監督や、『まどマギ』の新房昭之監督&シャフトも同様だと思います。
 そして、テレビアニメでヒットして映画化されたり、あるいはいきなりアニメ映画として作ってヒットされるような作品を作れる監督やスタッフ、制作会社は、人気のある人・会社でしょうし、ヒットする確率の高いアニメを作れる人・会社でしょう。人気者はアニメが映画にシフトしていく中でますます人気になるでしょうが、人気になればなるほど、テレビアニメを作れる本数や頻度が減ってしまうのは間違いないと思います。
 そうなると、面白いテレビアニメが出てくる確率が格段に下がってしまう……かどうかはわかりませんが、特に水島努監督のように、シリーズものよりも新規でのアニメ化を多く請け負う監督が映画に引っ張られてしまうと、テレビアニメの空洞化につながっていくのではないかと思ってしまいます。

  • テレビシリーズ→映画へのシフトが進めば、新たなアニメ映画をやるための種が生まれなくなる

 そもそもという感じがしますが、当然のことですよね。水島努監督はガルパン最終章に取り掛かっていると言っていましたが、続編的な映画を1本2本と作ることで、新たなテレビアニメに取り組めなくなってしまいます。次に映画化まで持っていけるようなテレビアニメを作れないですからね。
 ただ、これはテレビシリーズの続編を作るときにも言えることなので、映画だけの問題ではないかと思います。が、テレビシリーズで続編をやらないことで、やはりテレビアニメ自体が減ってしまうことにも繋がりますので、テレビアニメの空洞化を引き起こす一因と言えるでしょう。

  • いきなりアニメ映画化してヒットしまうことで、円盤を売って利益を得る深夜アニメのビジネスモデルが変化する可能性

 オリジナルのアニメ映画でもそうなのですが、原作もののいきなりの映画化で成功してしまうことで、テレビアニメを作って放送して、良ければ円盤を買ってもらって、というビジネスが後退するのは間違いないと思います。というのも、この深夜アニメの円盤を買ってもらって、というビジネスモデルはそもそも無理があるというか、無料で高画質で観れるアニメを、視聴者に値段不相応と思われる高さで買ってもらっている現状がそもそもおかしかったわけですが。
 映画であれば、もし興味を持ってもらえたのであれば、映画館でチケット買って観てもらえるわけです。その時点で既にお金が発生しているのに、劇場で販売されるパンフレットやグッズなどを、作品を観た直後に買えるわけです。テレビアニメのように、家でテレビで観て、そこから何かしらお金を出す(かどうか)のことと比較すれば、格段にお金を出すまでの距離が違いますし、観た側も気持ちよくお金を出せるのではないでしょうか。更に映画でも、もちろん円盤が発売されます。テレビシリーズのように何巻と出るわけではないので、むしろ買いやすいとさえ感じます。そう高くは出来ないですが、既に興行収入という形でお金になったその上に、円盤の売上がプラスされるわけですから、ヒットの規模が大きくなればなるほど、作り手側にお金が入るわけです。出すお金の額も違いますよね。テレビアニメであれば、小さなグッズや主題歌CDが安めでありますが、安すぎますし、かといって円盤を集めようとするといきなり6000円とか出さないといけないですからハードルが高い上、放送している時にリアルタイムにその話数の円盤が発売されているわけではありません。映画なら、円盤は後から発売になることが多いですが、グッズ類はパンフレットからそれなりの種類が出ていて、観てすぐに買うことが出来ますし、おのおのが出せる額だけ出すことが出来ます。グッズ類に関してはテレビアニメも映画も変わらないかもしれませんが、観終わった後の気分が高まっているところで買える、という違いは大きいでしょう。
 このように、テレビアニメと比較すると、格段にお金との距離が近い映画という媒体なのが映画です。そもそも、基本無料のテレビアニメと、お金を出さないと観れない映画では、スタートから比較にならないものがあるとも思います。作る側からすると、やりがいというものが目に見えるかどうかの違いが大きいようにも感じます。
 そうなってしまうと、「テレビアニメ」という段階を踏むこと無くいきなり映画化する、という制作会社も出てくるような気もします。何せ、テレビアニメとして作って公開したとしても、事前に製作委員会に参画してくれた企業が出資してくれるに過ぎず、話題になっても儲けには繋がりません。ですが、映画ならそうとは言えない感じにもなると思います。
 そうなると、円盤を売って(買ってもらって)制作費の回収や儲けを得る、現行の深夜アニメのビジネスモデルは崩壊してしまうことになりかねないと思っています。映画が本番で、テレビアニメは踏み台となると、高いクオリティのテレビアニメは見れなくなってしまう可能性すらあるような気がするわけです。
 最も、それで良いじゃないか、むしろ現行の深夜アニメのビジネスモデルもほうがおかしいんだから、というのは非常に理解できるものがあるとも思いますが。

  • 本当にテレビアニメから映画へのシフトが進むのか?

 では、本当にテレビアニメが減り、いきなり映画でやるアニメが増えるのでしょうか? 結論から言うと、ほんの一部に過ぎないだろうと思います。
 新海誠監督がこれからテレビアニメをやるのかと言われたら、まずそれはないと言えるでしょう。あのクオリティのテレビアニメとか色々と死んでしまいますし、何より映画でやればヒットすることがわかっているのに、敢えてテレビで流す必要性もありません。ただ、作画スタッフにはアイジーの主力アニメーターが関与していますので、いくらかIGのテレビアニメへのリソースは下がっていたかもしれませんし、次回作が更に大規模になれば、テレビアニメでやるはずだったアニメーターが新海誠作品へと引っ張られるかもしれません。
 京アニに関しては、これまでも年1本くらいずつ映画を公開しており、かつテレビシリーズも定期的にOAしていることから、これからもしばらくはテレビと映画を並行して制作していくことと思います。5年先とかになるとわかりませんが、京アニがテレビアニメをやらなくなるようなことは、まだ考えなくても良いのかな、と思っています。『響け!ユーフォニアム』みたいなクオリティのテレビアニメも作り続けてくれそうな感じがしています。
 その他の、主にテレビアニメを主戦場としているような制作会社やスタッフはどうでしょうか? こちらについても、一気に映画オンリーにシフトするとは考えていません。というのも、基本的にはテレビアニメをヒットさせないと、劇場版まで辿りつけないわけですし、ここのところあまり新規にアニメ化してヒットした作品はないような気がしています。また、ヒットの規模が大きいものになると踏んだアニメ映画には、作画リソースなどをつぎ込めるわけですが、OVAの劇場公開程度のものだと、若干クオリティの高いテレビアニメくらいのものに留まるでしょう。それだと、そこまでテレビアニメへの影響は大きくないんじゃないか、と考えています。
 まあそもそも、本格的な劇場アニメを制作できるような制作会社がそんなにあるとは思えませんし、何より、テレビアニメを経ずに何億というレベルの興行収入が見込めるようなアニメ映画の、企画を立てられるようなプロデューサーが、そもそも何人もいない、という事情もあるのですが。

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 ただし、アニメ映画は美味しいんだ! と偉い人たちにも思われているでしょうから、アニメ映画自体は更に増えるものと考えられます。でも、『君の名は。』の次元はともかく、『聲の形』レベルの興行収入も高すぎる壁なのが実情ですし、そうした作品をいきなり映画で発表すること自体がギャンブルです。
 アニメ業界にはギャンブル好きな人が多いのは間違いないのですが、どれだけの勘違いアニメ映画が出てくるのか、あるいは本当に映画が主戦場となるくらいにはヒット作が連発するのか、楽しみに待ちたいと思います。

『聲の形』に繋がる、京都アニメーションの原作もの「一本釣り」アニメ化路線

 京アニこと京都アニメーション制作の映画『聲の形』がヒットしているようです。公開9日間の数字でいえば、あの『けいおん!』や『魔法少女まどか☆マギカ』を上回る数字で推移しているようです、12日目にして10億を突破したという情報も入ってきました。内容としては文句なしではあるのですが、それほどキャッチーさは無いと思っていただけに驚いています。
 しかしながら、書店に行っても原作コミックスはほとんど置いておらず、今月27日頃からようやく重版分が出回りだしたというくらいには動きが遅かったです。映画公開に合わせてファンブックは用意していたようですが、原作元の講談社は全く予想していなかったように見えます。原作は既に完結していたこともありますが、京アニと組むのは初めての講談社というのもあったのかもしれません。
 京アニには、角川とポニーキャニオンの、2つの製作と組んでアニメを作っていますが、角川ルートでは、角川が京アニにアニメを作ってもらっている感じがありました。が、ポニーキャニオンルートでは、京アニがやりたい企画をポニーキャニオンがサポートしている、ような感じに見えています。
 そしてポニーキャニオン製作でも、オリジナルや、京アニ自社出版の、KAエスマ文庫原作アニメはともかく、それ以外の原作もののアニメ化は非常に特徴的なものがあります。それは、パイプの無かった原作元と組んでいたこと(その橋渡し役をポニーキャニオンがしていた?)と、原作側がアニメに積極的ではないようなスタンスに見えたことです。どういうことなのか、ちょっと観ていきたいと思います。

 ご存知(ですよね?)Key原作の、美少女ゲーム界でもレジェンド級の作品です。東映アニメーションからもアニメ映画化されましたが、ほぼ同時期に京アニがテレビアニメ化したものです。
 当時の話はちょっと覚えていないのですが、Key三部作のテレビアニメ化については、TBSが積極的だったという話もあり、ポニーキャニオンはそのおまけだったのかもしれませんが、角川ルートしかなかった京アニにとってはこれも転機だったといえると思います。
 原作が発売してから5年近く経っていたこともあったのか、あるいはゲーム屋がアニメに積極的に関わるのは良くないと考えたのか、製作委員会にはKeyが所属しているゲーム会社、ビジュアルアーツは参画しておらず、TBSとポニーキャニオン京アニが出資していました。
 結果は言わずもがな。続いて『Kanon』、そして山田尚子監督が演出デビューした『CLANNAD』も、同じ体制で作られました。

 社会現象とも言われた、日常系アニメの金字塔です。『聲の形』の山田尚子監督が監督デビューした作品でもあります。
 芳文社とのパイプもあったわけではないですし、どういう経緯で京アニがアニメ化することになったのかよくわからないのですが、製作委員会に原作元の芳文社は関わらず、Key三部作と同じような製作委員会の組み方をしています。
 結果はご存知のとおりです。芳文社は、原作コミックスや関連書籍などで恩恵は受けましたが、アニメの大ヒットで得た恩恵はごく一部にとどまったように思います。『けいおん!』以後、芳文社は、自社原作のほとんどのアニメの製作委員会に参画しています。

 宝島社文庫という、ラノベレーベルとしてはマイナーな出版社の原作です。当然ここの作品をアニメで取り扱ったことなどありません。宝島社がどのくらいの規模の出版社なのかわかりませんが、アニメ化作業に関わったことも無かったでしょうし、製作委員会には参加していません。これも、Key三部作などに近い形の製作委員会になっています(テレビ局はTBSではなく、大阪のテレ朝系である朝日放送)。

 あの講談社です。京アニと仕事したことは無かったかと思います。試写会に 先生が招待されてコメントも出していたように、『進撃の巨人』などで講談社とパイプのあるポニーキャニオンが仲介して実現した企画なのだろうと思います。
 製作委員会には講談社が入っています。なので上記した作品とは違う形です。ただ、原作が既に完結していたことや、アニメ化にあたって主導的に動いたのは京アニだったこともあって、製作委員会では6番目のポジションでした。
 前述のとおり、映画化効果が大きいと思っていなかったのか、原作をほとんど準備しておらず、映画のヒットで慌てて重版をかけたようにも感じました(まず1〜3巻から重版分が出まわるというあたりにそれが伺えます)。

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 という感じですが、あまりにも「製作委員会に原作元が参画していない」とか「原作本を準備してない」ケースばかりです。AIRの当時であれば、まあ仕方ない面もあったかと思いますが、けいおんの頃には既に京アニブランドが確立されていましたし、聲の形にしてもまだまだ京アニという看板は通用するところだったかと思います。しかしながら繰り返されてしまったような気がします。
 なぜこのようなケースが増えるのかと考えると、いくつか思い当たることがあります。

  • 京アニがやりたくてアニメ化企画を進めたケース

 Key三部作はTBS主導のアニメ化という話がありましたが、鍵っ子を自認していた石原立也監督以下、京アニとしてやりたい企画だったのだろうと思っています。恐らくはAIRがヒットすれば、KanonCLANNADも自動的にアニメ化するつもりだったのだろうとも思います。
 けいおんに関してがよくわからないのですが(アニメ化の企画が動いたのは原作の連載開始後すぐ〜単行本が出たかどうかくらいのタイミングだったはずなので)、ユーフォニアム聲の形も、京アニが原作に惚れ込んで、かつ作風が合う(のと売れる算段もついていたのでしょう)ことで、自らが売り込んでアニメ化にこぎつけたのだろうと考えられます。けいおんについては、京アニによるスーパー青田買いだったという見方もできるかと思います。芳文社も、あそこまでの人気が出る原作だとは感じていなかったくらいには。

  • 原作元は映像化に積極的ではない/今推したい作品ではない作品だった

 逆に言えば、原作側はあまり積極的に売り込もうとしていなかったとか、アニメ化に乗り気ではなかった、あるいは売れるとは思ってなかったなど、原作側のその作品についてのスタンスの問題にもあるように思います。
 出版社にとってアニメ化は、原作が掲載されている雑誌の販促を第一の目的にしているので、聲の形のように原作が完結している場合、それが出来ないためあまり積極的になれないのが一番だと思います。
 もう一つ考えられるのは、アニメ化したいタイミングで話が来なかった(実現しなかった)ような作品のケースです。特に聲の形の場合は、原作も色々な意味で評判となり、原作もかなり売れていましたから、アニメ化など映像化の話も来ていたはずなのですが、話がまとまらなかったのか、あるいは扱いの難しい内容に尻込みしたのか、そうはならないまま原作が完結してしまったようです。京アニによるアニメ化は、原作が完結する頃に固まったようなので、他からの話を断っていた可能性も無くはないですが、雑誌の販促としてのアニメ化は実現しなかったのでしょう。もし、連載中にアニメ化が実現していれば、言うまでもないことですが、京アニによる映画『聲の形』は実現していなかったということにもなります。

 つまり京アニは、他社が積極的に手を出さない、あるいは原作元がアニメ側に積極的にアニメ化を売り込んでいないような作品に目をつけ、アニメ化させているということになります。しかもこの路線でアニメ化されたKey三部作にその後の3作品は、いずれもヒットしていますし、この作品をうちでアニメ化すれば面白いものができるだろうし、ヒットにも結び付けられる、というところまで見えているのではないか、というところまで考えられると思います。
 考えてみたら、AIRの時はまだまだエロゲ原作アニメを丁寧に作ったら売れるなんて考えられなかった時代ですし、けいおんは超のつく青田買いなのと、まだまだまんがタイムきらら系原作アニメのヒット作が少なかった頃ですし、ユーフォニアムはよく原作見つけてきたな、という具合のマイナーっぷりでしたしね。
 京アニと言えば美少女キャラだと思いますし、丁寧な作風の美少女アニメで今の地位を築いたと思っています。その作風と長所が活かせた上で、アニメとしてもヒットが見込める作品を見つけてこられる優秀なプロデューサー(もしかすると監督本人?)が京アニにはいる、ということにもなると思います。そしてそれは、他社にはない、非常に大きな強みにもなっているわけです。

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 色々と書いていきましたが、『聲の形』の映画のヒットは、偶然の産物ではないってことを、声を大にして言いたいです。今まで京アニのメインターゲットであったオタク層よりも、それ以外の層にもウケたのは、原作ファン層の強さなのだろうと思いますが、そうした作品を一本釣りしてしまえる京アニの眼力とか嗅覚とアレンジ力には、今後も驚かされるのだろうな、とも思っています。

小説 映画 聲の形(上) (KCデラックス)

小説 映画 聲の形(上) (KCデラックス)

『あの花』から『君の名は。』へ、田中将賀さんキャラデザの変遷に観る「キャラデザの一般性」

 『君の名は。』の快進撃が止まりません。さすがに超えることはないだろうと思っていた『シン・ゴジラ』をも上回る勢いでお客さんが入っているようです。僕が観た郊外の映画館でも土日はほぼ全回満席というとんでもないことになっています。
 そんな『君の名は。』で注目していたのが、田中将賀さんがキャラデザを手がける、という部分でした。新海誠監督と田中将賀キャラデザだと、Z会のCMで一度タッグを組んだことはあったわけですが、本格的に、しかも東宝が全面的にバックアップして売り出す映画のキャラデザとして起用された、というのは、ある意味ではものすごい抜擢起用だったようにも思えるからです。というのも、これまでの新海誠監督の映画であれば、興行収入は行って1億ちょっとという小規模でしたし、BD/DVDの売上も累計で2万本ちょっとという感じでした。深夜アニメの円盤売上をご存知ならおわかりでしょうが、突出して売れたとも言い難い数字でした。なので、企画発足当初には、ここまでの大作になる展望があったかどうかわかりませんし、これだけの興行収入になるのも夢くらいにしか思ってなかったのではないかと考えています。というのも、田中将賀さんの知名度が、あくまでもアニオタ層、とりわけ深夜アニメ視聴者を中心としたものでしか無かったからです。キャラデザの知名度を他と比較対象として考えてみるとわかりますが、例えば『おおかみこどもの雨と雪』では『サマーウォーズ』や『エヴァンゲリオン』で知られる貞本義行さん、と考えると、田中将賀さんは強くないと思います。
 ではなぜ、それでもこれだけの好評を得られたのか? これは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(あの花)や『心が叫びたがっているんだ』(ここさけ)と、主に深夜アニメファンから好評を博し、そこからの流れで『君の名は。』へと繋がっているのだろうと考えられます。そして、『あの花』や『ここさけ』で良かった部分を取り入れ、逆に一般ウケしなさそうな部分は採用しない、ような取捨選択の上に作られたのが『君の名は。』のキャラデザだったように思います。
 そんな、田中将賀キャラデザ(原案なし)のアニメ3本を観ていきましょう。

  • カラフルな髪色とポップな髪型と、あなるのおっぱいが特徴的な『あの花』

 『あの花』でまずパッと思いつくのが、姿形からして特徴的かつ対照的な3人のヒロインキャラでしょう。つるこはまあ普通ですが、めんまは銀髪ロリっ子でかつ、あの浮世離れしたかのような白いドレス。あなるはおっぱいを強調させた服装になっていますし、髪の色も明るく、髪型もポップでいかにもアニメキャラ的です。個人的には、あまりアニメキャラっぽいデザインにしすぎると、いわゆる「聖地もの」と呼ばれるアニメとの相性は非常に悪くなると思っていますが、秩父を舞台にした『あの花』に関しては、ちょうどいいデザインになっていたと思います。それは、枠がノイタミナであっても、媒体があくまでも「深夜アニメ」だからです。
 深夜アニメ視聴者、中でも「萌えヲタ」と呼ばれる層は、まず地味なキャラデザのアニメは敬遠しています。最初から選択肢に入らないこともしばしばあるのではないでしょうか。なので、視覚的に訴えかける萌え要素みたいなものが無ければ、深夜アニメとしてはスタートラインにすら立てないわけです。
 その意味において、『あの花』は非常に優秀だったと思います。特にあなるに関しては、どこかのゲームに出ていたかな? と思うくらいには二次元的なキャラデザでしたが、キャラ設定とか言動や性格が良く、非常に高い人気を獲得しました。めんまに関しても良かったですね。薄幸のロリキャラというのは人気が出やすいと思うのですが、それに加えて、あのキャラデザですからね。浮世離れした見た目が設定とも相まって効果的だったと思うわけです。つるこに関しては、外見的に特筆すべき点はありませんでしたが、特徴的な2人と相対することで見た目も際立ちましたし、バランスが取れていたように思います。
 女性に向けてはわかりませんが、少なくとも男性ヲタに関しては訴求力の高いキャラデザだったように思います。

  • 黒主体の髪色とありそうな髪型、そしておっぱい非強調型の『ここさけ』

 『ここさけ』のキービジュアルを観た時にまず思ったのが「黒いなあ……」と「おっぱいがわからない!!!」でした。
 「黒い」のほうは言わずもがな髪の色のことです。メインの4人ともに黒(1人だけ灰色がいますが、坊主なので……)で、『あの花』と比較するとかなり地味というか、黒い印象が強いと思います。男子の制服も学ランということで、そこから女子の制服は白ってことになったのかもしれません。そこはともかく、『あの花』とはずいぶんと印象が異なります。
 意図としては、『あの花』では、例えばあなるはチャラチャラした友達と一緒にいたいから髪を染めているだとか、おっぱいを強調する服を着せている、というキャラ設定的ものが汲み取れると思いますし、めんまめんまで半幽霊みたいなキャラで、つるこは真面目設定(だから黒髪)という設定由来だったことがわかります。
 それに対して『ここさけ』は、あまり髪を染めていそうな設定のキャラがいないんですよね。唯一、菜月はチアリーダー部ですし、黒髪にこだわる必要は無かったかとは思いますが。クラスメイトを含めても茶髪のキャラが数名いるだけでほとんどが染めていないので、そういう校風というよりは、敢えて髪の色を黒ベースに統一しているのだろうと考えています。
 黒髪のアイドルが多い乃木坂46が主題歌を歌う関係でそうなっただけなのかもしれませんが、個人的には髪の色を染めてないキャラを前面に押し出すことで、一般人向けを意識したプロモーションをやりたかったのではないか? と観ています。髪の色を染めていないというか、いわゆるアニメキャラ的じゃないアニメっていうのを前面に押し出すような感じのプロモを、という感じです。
 ここからは推測なのですが、カラフルな髪の色はいわゆるアニメアニメしすぎていて、普段あまりアニメを観ない層には敷居となってしまうのではないかというところです。実写には、ピンク髪や銀髪どころか、日本人では金髪もほぼあり得ません。だからこそ、黒髪キャラをメインに据えた、のかなと思ったわけです。ただ『ここさけ』は、あまりにも黒髪ばかりにしすぎていて、逆に違和感を感じる部分もあったような気がします。それほど偏差値も高そうな高校でも無かったですし、リアリティは感じられませんでした。
 ただ、髪型については常識的な範囲での髪型にこだわったのだろうと思っています。アホ毛も過剰にはなっていません。この辺は、リアル寄りの意識が強く働いたものにしたかった意図が強く現れていると思います。
 あと、特筆すべきなのはおっぱい表現でしょうか。ヒロインの順はぺたんこなので構わないのですが、チアリーダー部のマドンナ設定の菜月のおっぱいの大小が目立たなかったことも気になりました。個人的に田中将賀キャラデザで注目なのはおっぱいで、キャラ原案ありでしたけど『あの夏で待ってる』なんかは、巨乳ヒロイン2人に貧乳キャラのおっぱいまでこだわりを持って描いていたので、『ここさけ』でも期待していたのが肩透かし食らった記憶が強く残っています。
 ですが、キービジュアルの菜月をよく観てみましょう。かなり胸部が張っているのがわかると思います。そうです。敢えておっぱいの形が見えにくくなるようなキャラデザにしていた、というのがどうも真相のようです(勝手に言ってます)。
 一般人向けでヒットしたアニメ映画を考えるとよくわかりますが、ワンピースのような長期シリーズものを除けば、いわゆる「乳袋」みたいなものを持ったヒロインキャラがメインのアニメ映画って、たぶん思いつかないと思います。これは実写の邦画でもそうでしょうけど、おっぱいが目立つようなヒロインキャラってそんなに思いつかないと思うんですよね。なので『ここさけ』で、敢えておっぱいを目立たないようにしたのは間違いないと思っています。

 そして『君の名は。』です。『あの花』『ここさけ』とは監督が異なる(あの花とここさけは長井龍雪監督)し、製作もアニプレックス東宝、アニメ制作もA-1とコスミック・エースと、まるっきり変わっているので、田中将賀キャラデザだけで語れるような話ではないのかもしれませんが。
 田中将賀さんをキャラデザに起用した意図が『ここさけ』がヒットしたから、というには近すぎますので、Z会のCM『クロスロード』からの流れで決まったものなんだろうと思います。もちろん『あの花』のことは念頭にあり、『あの夏で待ってる』や『じょしらく』など、田中将賀キャラデザが聖地や実在する舞台との相性が良いことも決め手だったのではないかと思っています。300スクリーンという巨大な規模での公開を決めたのは、それこそ『ここさけ』のヒットも関わっているのだろうと観ています。
 先程から触れていた髪の色や髪型については、『ここさけ』から更に一般性を出すような試みが加えられていると思います。『ここさけ』では、メイン4人がみな黒髪でしたが、『君の名は。』では黒髪も茶髪もいますが、微妙に髪色を変えていたり、黒〜茶の間で細かく色指定されているような印象がありました。茶髪だからって染めているわけでもなさそうです。そして、これは『ここさけ』と同じですが、赤とか金髪みたいな、極端な髪色のキャラは登場しません。やはり、作品の性質的なものもあるのでしょうし、聖地というか実在する舞台にキャラクターを立たせる作品ということとも繋がりがあるのだろうと思います。
 髪型については、より一般性を持たせたというか、田中将賀さんがこれまでのアニメで描いてきた特徴的な毛先表現を極力抑えたような髪型になっていたように思います。まだ『ここさけ』は田中将賀さんっぽいというか、いかにもアニメ的な髪型のキャラもいたと思うんですよ。それが『君の名は。』では、脇キャラやモブに至るまで、いわゆる萌えアニメ的なキャラに観られる髪型のキャラはいないと思うんですよね。田中将賀さんの生み出すキャラの造形を、第三者が一般向けフィルターに入れて創りだしたようなデザインになっているのではないかと観ています。A-1PicturesやJ.C.STAFF長井龍雪監督など、田中将賀さんとよく組んでいるスタジオや監督だと、どうしても氏の作風を確実に残しつつのデザインになると思うわけです。が、『君の名は。』に関してはそういう遠慮があまり感じられず、より一般向けに田中将賀デザインをアレンジしたのではないかと思うわけですが、それが一番よく出ているのが髪型のように感じています。
 「ジブリっぽさ」については、個人的にはよくわかっていません。ただ、作画監督ジブリ作品でもお馴染みの安藤雅司さんが入っていることから、そうしたフィルターを通した絵柄にもなっているのではないかと考えています。具体的には何とも言えないのですが、このデザインのキャラの動かし方とかになるような気がします。たぶん、これまでの田中将賀キャラデザのアニメとは全く違う動きをしているのではないでしょうか。この辺は詳しい方にお任せしますが。

 田中将賀さんキャラデザで注目してしまうのがおっぱいですが、『ここさけ』では目立たないようにしつつもやはり主張させていたような感じでしたが、『君の名は。』では完全に封印した形となりました。
 とは言え、ご覧になった方はご存知だと思いますが、代わりに(?)三葉のセルフパイもみという手でおっぱい表現を出してきました。しかも、中身は入れ替わった瀧なので、まさに田中将賀キャラデザの男が女の子のおっぱいをもむ(感触を確かめる)ということをやってのけたと言えます。
 これはただの妄想ですが、新海誠監督としては田中将賀さんにキャラデザをやってもらうなら、ぜひおっぱい表現も入れてみたい。でも、あまりおっぱいを主張させてしまうと一般向けのアニメにはならないし、嫌がる人も出てくる。そうなると、おっぱいをキャラデザ段階で主張させるわけではなく、作中のどこか何らかの形で入れるしか無い。でもどうせなら男キャラに女の子のおっぱいをもませてみたい! でもそんな展開を普通に入れられるわけもない。ならどうしたら……で思いついたのが、この入れ替わりネタだったりして。……という妄想です。
 結果的には、深夜アニメでもそれほど観られるわけでもない、ましてや『あの花』や『ここさけ』ではなかったパイもみを渾身の作画で実現できたのですから、田中将賀さんをキャラデザにと熱望した新海誠監督は本懐を遂げたと言えるのかもしれません(何だこれ。

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 最後がひどい内容になってしまいましたが、だいたい言いたいことは書けたように思います。
 古くからの新海誠監督作品好きには『君の名は。』は物足りなかったかもしれませんが、それは田中将賀キャラデザ作品好きにも言えることなのかな、とも考えています。ただ、その最大公約数的なものが出たのが、この『君の名は。』のキャラデザだったのかなとも思いますがどうでしょうか。

『迷家』は、なぜ大爆死したのか?

 アニメ放送開始前に、クラウドファンディングを始めるなどしても話題となった『迷家』が、円盤の数字が出ないほどの低い売上になるなどして、いわゆる「大爆死」してしまいました。このブログでも、放送開始前に取り上げるなどして注目はしていましたし、全話観ましたが、水島努監督ファンを自認する自分でさえ「ダメだこりゃ」な内容でした。それが僕だけの印象なら良かったのですが、観測範囲内で良く言っている人を観たことがありませんでした。例え円盤の売上が低くても、それなりの数の人間が観ていたようなアニメだと、擁護派とか絶賛する人が出たりもするわけですが、この作品についてはそれも皆無という感じでした(絶賛記事があれば教えて下さい)。
 ヒットメーカーでありファンも多い、水島努監督とシリーズ構成岡田麿里が初タッグということでも話題になったわけですが、この2人が組んで大爆死アニメが生まれてしまうことは、正直放送開始前ではわからなかったです。
 では、どうしてこんな悲惨なことになってしまったのでしょうか? 今期の『レガリア』のようなスケジュール破綻などもなく(?)、またイベント等での問題発言など外野に足を引っ張られたわけでもなく、純然たる作品内容の問題でこうなってしまったのだろうと思っています。なので、何故ダメだったのか、ダメになってしまった原因は何処にあったのかを考えてみたいと思います。

  • 何一つとして魅力的な要素がなかった

 『迷家』については、つくづくこの部分が大問題だったと思っていますが、とにかく何処にも魅力を感じませんでした。
 恐らくは「ミステリー」として面白ければもう少しマシな感想にもなったと思うのですが、そのミステリー要素の部分がとにかく中途半端すぎて、なんじゃこりゃってなってしまいました。そして、やはり監督の、放送開始前のあのツイートを思い出してしまうわけです。

 水島努監督といえば、ジャンルごとに最適に見えるような作り方をするのが上手い監督、という印象が強くあります。なので、ギャグものだけではなく、『ガルパン』のようなスポーツもの(?)も、何を見せたいのかが明確なため、そこにリソースを全振りさせて、面白くしていけるのが強みと考えています。
 その意味で『迷家』は最悪だったと言わざるを得ません。ジャンルが明確で無い以上、何を強めにすれば面白くなるのか、方針そのものが立たなくなるのではないでしょうか。現にこの作品では、一番何を見せたかったのかがさっぱりわかりませんでした。企画の狙いとしては、そういう中心部分が明確で無い面白さ、を出したかったのかもしれませんが、結果として抑揚を感じられないような作品になったデメリットを覆すほどのメリットがあったとも思えませんでした。
 また、気になったのがビジュアル面です。この作品はキャラクター原案を立てずに、アニメーターさんが1からキャラクターデザインを手がけているわけですが、そのせいかさほど魅力あるデザインにはなっていなかったような気がしました。可愛さに振るわけでもなし、高いデザインセンスを感じるわけでもなし、リアリティ路線とも遠い……。例えば、同じ時期に放送していたオリジナルアニメで同じ岡田麿里シリーズ構成だった『キズナイーバー』などは、デザインセンス抜群で見た目にも印象的なものになっていましたし、こちらも同時期に放送していたオリジナルアニメ『はいふりハイスクール・フリート)』は、全体的に似たようなデザインではありましたが、世界観的には統一されていたような印象を持ちました。ですが、迷家にはそのどちらも感じることが出来ませんでした。キズナイーバーはいふり迷家と異なるのが、直接アニメーターさんがキャラデザを手がけているわけではなく、マンガなどを手がけている方がキャラクター原案として参加していました。もちろん、オリジナルアニメでアニメーターさんが直接キャラデザを手がけた作品でヒットしたものもあります。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』や『キルラキル』などはそうですよね。ですが、思いつく限りでは、キャラ原案を立てたアニメのほうが、キャラがより立つ印象が強いです。それに、あの花やキルラキルでキャラデザを手がけているアニメーターは、キャリアも実績も凄い、いわゆるスーパーアニメーターという人たちで、その人の絵柄もアニメファンにはよく認知されていると思います。なので、その人のキャラデザというだけで魅力が付加されるケースとは違い、まだオリジナルアニメ以外でもキャラデザをあまり務めていない迷家のケースは、良いものだと認められる可能性はあったとしても、そこが「売り」にはなりませんし、かなり未知数なものがあったかと思います。
 

  • 監督・シリーズ構成の「得意」を封印した愚策

 『迷家』で一番思ったのが、水島努監督も、シリーズ構成の岡田麿里さんも、どちらも自身の得意分野で勝負できていなかったことです。
 個人的に、この2人の作品には縁があるのか、ただ好きなだけなのかはわかりませんが、割と色んな作品に触れているので何となくわかるのですが、両者ともにかなりハッキリとした作品傾向と、それぞれの得意があると思っています。
 例えば水島努監督なら、ガルパンSHIROBAKOウィッチクラフトワークスなど、たくさんのキャラクターが登場するアニメを得意としている傾向は、周知されているのではないかと思います。もちろんそれはそうなのですが、ただキャラクターが多い作品が得意なわけではなく、その中で視点を持つキャラクターを1,2人に絞り込むことによって、たくさんのキャラクターがいても印象が散らず、話がぶれずにさくさくと進行していける、ところまでが、水島努監督が得意としているところだろうと思います。
 しかしながら迷家では、そうはなっていませんでした。モノローグで過去回想を掘り下げるキャラが4,5人はいたでしょうか。あれでは主人公が主人公として機能もしませんし、話の進行具合が過去回想に入る度に止まり、あるいは話の中心部分がわかりにくくなっていたと思います。これでは多くのキャラクターが出ていることがマイナスにしか働きません。
 岡田麿里さんの得意分野は、言わずもがな「恋愛」だと思います。多くのアニメに恋愛要素が登場し、基本的には痴情のもつれから話が展開していく……のが王道パターンという見方をしています。
 ただ、迷家では、監督からだったと思いますが、恋愛要素を薄めてくれとオーダーされたようです。水島努監督作品ではあまり恋愛を描かない傾向はあるものの、岡田麿里さんを起用しておいて恋愛を絡めない脚本を頼むというのは、どう考えても愚策でしょう。迷家の作中では様々な人間関係のもつれとか衝突がありましたが、ここに恋愛要素が絡んだほうが面白かったのではないか? とも思ってしまいます。
 他にも、水島努監督といえば、1話ごとに起承転結があり、メリハリのある展開でまた次の話につながっていく傾向があると思いますが、そうもなっていません。キャラクターを立たせることは両者とも得意なはずだったのですが、迷家のキャラでそんなに愛着の湧くようなキャラはいませんでした。何もかも上手く行ってませんし、何よりもこの2人を起用した意図が作品から見えてこないのです。
 推測ですが、この迷家という企画そのものが、2人の名前を旗印として利用した、だけなんじゃないかと思うわけです。2人のアイデアありきというわけではなく、最初からあった企画案を通すために、2人を担ぎ上げたような印象です。
 決してそれが、アニメの作り方として悪いわけではありません。水島努監督ならガルパンは、戦車と美少女ものという企画案に乗ってくれる監督として白羽の矢が立ったわけですし、その意味では迷家とそう大きな違いはありません。ただ、企画案を面白くする道筋を誰も立てられなかったか、あるいはこの企画案を面白く出来る人材として、2人は相応しいわけではなかった、のでしょう。ヒットメーカーの2人でこの内容なのですから、最初から面白くなるはずのない企画案だった、ということになるのかもしれませんが。

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 散々に書いてしまいましたが、まあ全て本心ですし、この2人で作るアニメが実現したことでの高揚感が無残な結果になってしまったわけなので、ガス抜きとしても書かせていただきました。
 ぶっちゃけ、この作品をじゃあどうやれば面白くなったのか、というのは全く見えてきませんでした。リアルタイム的に話が進行していく、過程はその都度サイコロを振って決める、的なやり方だったと思うのですが、本当に博打なやり方でもあったと思います。また、どうも最初と最後を決めて話を進めたようなのですが、そのために間の話が穴埋めみたいになり、過程の話がスカスカになっていたようにも思いました。
 こんなオリジナルアニメはこれで最後にしていただきたいと思うと同時に、水島努×岡田麿里アニメはこれで終わりにするのではなく、PAさんかJCさんあたりでもう1度お願いしたいと思っています。

<参考>
見る目の無かった『迷家』展望記事。

マイベストエピソード10選〜りきお選

 ぎけんさん(@c_x「物理的領域の因果的閉包性」)が面白そうなことをやっていたので、僕の備忘録的なものと受け止めて、頑張って選出してみました。
 個人的な選出基準は、各話(全話)のアベレージの高いアニメは基本的には除外して、飛び抜けて良かったという話数を基本的には選んでいます。もちろん、アベレージが高い中でもインパクトの高かった話数という取り上げ方をしたエピソードもありますが。
 では、見ていってください。僕らしいラインナップになっているかと思います。

  • CLANNAD 第1回「桜舞い散る坂道で」

脚本:志茂文彦 絵コンテ・演出:石原立也 作画監督池田和美

 いきなりCLANNADかよ!!! と言われそうですが、元は鍵っ子であり、今のアニオタな自分がいるのも京都アニメーションさんのおかげ(せい?)なので当然といえば当然ですが、中でもこのCLANNADの1話に関しては、ガツンと衝撃を受けました。というのも、Key作品はリトバスまでは原作ファンとしてアニメを観ているわけですが、中でもこのCLANNADに関しては、考察もいっぱいしましたし、二次創作で小説もたくさん書いていました。なので、原作ファン目線としてもめちゃくちゃハードルを高くして待っていました。
 ですが、アバンでやられてしまいました。登校するときに、主人公の岡崎朋也の映す桜並木やヒロインの渚はモノクロなんですが、それが朋也が声をかけることでカラーになっていくあの演出が、とにかく「すごい……」ってなって泣いていたと思います。そのくらい、原作ファン的にはよく意味がわかるし、それをちゃんと汲みとってやった演出だということも理解できて、ああもう京アニさんすごいっす……ってなった話数でした。
 1話自体はほぼほぼキャラ紹介だけで終わったとは思いますが、このCLANNADという作品は、この朋也と渚が出会って、お互いの存在を認識したことで始まる物語なんだ、ということを、非常に印象的に描いてくれた、会心の1話アバンだったと思っています。

<当時の記事>
「CLANNADアニメ第1話感想」

脚本:麻枝准 絵コンテ・演出:岸誠二 作画監督平田雄三

 また鍵かよ!と言われそうですが、すいません、ということで。
 鍵っ子以前に麻枝信者な自分でも、AB!というアニメは全面的に好きにはなれませんでしたが(好きなアニメではありますが)、それでもすごい熱を持って、毎週楽しみに観ていたと記憶してます。ブログも結構更新してましたよね当時。その中でも、何話がすごかったかと言われると……3話とかではなく1話だったのかなと思ってます。いきなり天使ちゃんに殺されるのを始め、何度も殺されては復活してしまうところを、ギャグっぽくやりながらも世界観の説明も同時進行し、銃撃戦やらライブまでやってしまう、何でもあり感と詰め込みまくり感で突っ走ってました。
 賛否両論もちろんありましたが、この1話で強烈に興味を惹きつけたことが、僕自身の作品への熱量の高さにも繋がったと思ってますし、作品そのものの大ヒットにも繋がったのではないかと思うのです。その後のリトバスCharlotteがそうならなかったのは、1話の構成とかインパクトの問題だったのではないかと。その意味でも、CLANNADやAB!の1話の良さは語られるべきだと思ってます。

<当時の記事>
「Angel Beats! 考察〜第一話から見える、紛れも無い麻枝准の世界」

脚本:虚淵玄 絵コンテ:笹木信作 演出:八瀬祐樹 作画監督:伊藤良明、潮月一也

 またメジャータイトルを続けてしまいました。
 まどマギは僕にとっても大きな作品であり、恐らくはアニメ視聴歴でも一番熱量を持って観た作品でもありました。放送年にやった「話数単位」で挙げたのは9話だったんですが、改めて考えてみると、何度繰り返して観たかもわからないくらいに観た10話になりました。
 開幕メガネほむら(メガほむ)なわけですよ。「???」ってなりましたよ。そこからの展開は言わずもがな。まどマギ序盤でもあまり描かれなかった、いわゆるうめてんてーキャラの魔法少女モノが描かれていたり、仲違いしたり絶望したりと、まどマギのエッセンスが凝縮された話数になっていたと思います。とにかく、これがEDカットだけで通常の尺に収まるコンテと編集にもビックリですが、本当に無駄のない、面白さに溢れた話数でした。
 個人的には、メガほむがシャフト産業(だったかな?)に武器を調達していくシーンが、BGMとともに大好きですね。ほむらが何か大切なものを捨てる覚悟をキメた感じがしていて。ラストにコネクトが流れる構成も大好きです。CLANNADやAB!と同じく、始まりを感じさせる話数が好きなのかもしれません。

<当時の記事>
「まどかマギカ10話の分析と、そこから導かれる結末を考えてみた〜魔法少女まどか☆マギカ10話 考察」

脚本:高橋龍也 絵コンテ・演出:伊藤祐毅 作画監督山口智、中路景子

 ここでちょっと変化球。とはいえメジャータイトルですが。
 個人的にアイマスのアニメはさほど好きになれないというか、そもそもアイドルもの自体があまり好きではないのですが、錦織アイマスのほうは好きな回が多いですし、ある程度納得しています。
 中でも一番面白かったのがこの、「765アイドル全員が出演する生放送バラエティー番組『生っすか!?サンデー』」で1話まるまる構成してしまったところだったでしょうか。ストーリーなどありません(無いですよね?)。ただ1番組をまるまるやりきった話数という特殊さと、それが非常に面白かったことが決め手でした。
 個人的に、本筋のストーリーと関係のない小ネタ回みたいなのが好きなこともあるのですが、その中でもこの話数は、アイドルたちが仕事をしている表側のみを基本的には描いているんですよね。なので、アイドルたちの裏側を全く観ることなく、視聴者も1ファンとして集中できる良さがあったように思いました。
 各キャラクターの魅力も存分に掘り下げられていましたし(双子のコーナーと、貴音のラーメンが良かったですね)、こういうのが見たかったんや!! とはなりました。もしかすると、アイドルアニメには、アイドルとして歌うことよりも、タレントとしての魅力を描いて欲しかったのかもしれない、と今思いました。

<当時の記事>
「話数単位で選ぶ、僕の2011年のアニメ十選」

シナリオ:白根秀樹 絵コンテ:山川吉樹 演出:羽多野浩平 作画監督:古澤貴文・ 福世孝明

 小ネタ回繋がりで。
 大好きなキルミーベイベーですが、全話好きだったわけではなく、話数によってはそこまで好きではないかな? と思えるような回もそれなりにあったように記憶しています。その中だからこそ、この11話は好きすぎて何回観たかわからないくらいです。
 キル太郎や竹キル物語、ゾンビーベイベーにミルキーベイベーなど、普通ではあり得ないシチュエーションでのやすなとソーニャの掛け合いが観られる面白さが一番だったのかもしれません。1つ1つのネタが短いので、非常にテンポが良いのもこの回の良さですよね。

<当時の記事>
「話数単位で選ぶ、2012年テレビアニメ十選」

  • じょしらく 第十席 唐茄子屋楽団 新宿荒事 虫歯浜

脚本:水島努 絵コンテ:二瓶勇一 絵コンテ:池端隆史 総作画監督直谷たかし、熊谷勝弘 作画監督直谷たかし、安留雅弥、藤部生馬、中村真悟、熊谷勝弘、佐藤真史、坂本龍典

 じょしらくはアベレージ型だとは思いますが、その中でも1話中ずっと笑っていてしんどくなったのがこの回でした。
 Bパートの新宿探訪のところで「ションベン横丁」って臆することなく言ってしまうマリーさんに対して、みんなの想像のマリーさんが、なぜかサウナに全裸で寝転がっているとかなんか面白かったです。ミッキーの声真似だとか歯医者おじさんの踊りとか、ものすごいテンポ感で繰り出されるネタの数々を楽しめる異常にカロリーの高い回だとも思いました。観終わった後に、これ脚本誰なんだろう……と思ったら「水島努」ってあって凄く納得もしました。さり気に新宿にオスプレイを飛ばしていたり、原発ネタで〆るなど、完全なる黒水島努が自由にやらかした感の強い話数だったと思います。『監獄学園』なんか白いからな!(誰に向かって言ってるんだ)
 この話数見返していて思うのですが、『シン・ゴジラ』に通じるところがそれなりに出てきますね。原発ネタもそうですが、日本人から見るアメリカ像とか。

<当時の記事>
「話数単位で選ぶ、2012年テレビアニメ十選」

脚本:ふでやすかずゆき 絵コンテ・演出:博史池畠 作画監督:油谷陽介、杉本幸子、仁井学、川妻智美、錦見楽、今田茜、松尾亜希子、りお、永吉隆志

 日常系アニメの雄、ごちうさからは2期のモカ姉回をピックアップしました。
 ごちうさシリーズ自体は、あまりにも「かわいい」押しでちょっと胸焼けすることもあるくらいなのですが、それに慣れたのか2期は1期に比べると楽しめましたし、中でもこの回は抜けて最高でしたね。
 話数としてはこの前の回からの登場になるわけですが、実質はこの回から……というか、この回だけのゲストキャラ的な新キャラとしてモカ姉が登場しました。CV茅野愛衣という破壊力もありましたが、CV佐倉綾音の姉キャラがかやのんということで、2人の実質のデビュー作である『夢喰いメリー』を思い出す人は多かったのではないかと思います(注:夢喰いメリーでは2人のキャラが姉妹だったわけではない)。
 特筆すべきなのが、「日常系アニメにおける新キャラ投入」という回だったのです。日常系アニメって個人的に、既存のメインキャラたち閉鎖的なコミュニティの中での掛け合いこそが本分であると思っています。なので、ゲストキャラを出して、しかも既存のメインキャラたちの関係性の中に突っ込んでいく……ましてや、姉キャラを食ってキャラ崩壊させるのは、あまり喜ばれないのではないか、と思っていました。が、ごちうさのこの回は、むしろご褒美のように感じました。
 これは、モカ姉というキャラクターがCV含めてすごく良かったことと、既存のメインキャラの掘り下げにつかえていたことが大きいと思います。
 作画監督多数で総力戦な話数だったのでしょうが、実力あるアニメーターさんの名前も見え、演出と合わせて「かわいい」が目白押しでした。

<当時の記事>
「話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選〜りきおの雑記・ブログ選」

脚本:黒田洋介 絵コンテ:二瓶勇一 演出:高島大輔 作画監督:木本茂樹、伊藤依織子、大館康二、新垣一成、るたろー

 以前にこのブログで、この話数単体で取り上げたこともある回ですね。
 改めて考えると、これだけおっぱいにこだわり、またおっぱいに語らせたり悟らせたりというアニメは、他に出てきていないのではないでしょうか。監督の長井龍雪さんやキャラデザの田中将賀さんはどんどん一般向けのアニメのほうに引っ張られていってますし、もうおっぱいを使った演出は見られないのでしょうか……。

<当時の記事>
「「あの夏で待ってる」10話のおっぱい押し付け演出が見せた意味と意図とは」

脚本:黒田洋介 絵コンテ・演出:元永慶太郎 作画監督:池上太郎

 大好きなヨルムンガンドですが、中でも熱かったのがこのヘックス編の完結回ですね。
 観たことのないようなココの怯えた表情とか、追い詰めるヘックスの最凶の敵感だとか、米軍機での爆撃でとどめを刺すやり過ぎ感からの、両腕を1話にして失ったブックマンのぼやきというかやるせなさまで、相当に詰め込んだ感はありましたが、この作品の醍醐味が詰まった本当に良い回でしたね。こういうのは映画館で繰り返し観たいようなそんな気分にもさせてくれます。
 しかし、ヘックス役が久川綾さんなんですものねえ……。セーラームーンTo Heartなどで、清楚なヒロインキャラとして馴染み深い声優さんだけに、オッサンほどこのヘックスというキャラは味わい深いものになったのではないかとも思うのですがどうでしょうか。

<当時の記事>
「話数単位で選ぶ、2012年テレビアニメ十選」

脚本:成田良美 演出:畑野森生 作画監督馬越嘉彦

 最後に、プリキュア最高峰との呼び声も高いハトプリから、キュアサンシャインが登場した回を挙げてみます。
 ハトプリはとにかく面白かったのですが、男装キャラがプリキュアに変身することで女の子を解放する、あの瞬間が、当時すごい衝撃を受けた記憶があります。そして、変身シーンに感動したのもこのキュアサンシャインが初めてだったようにも思います。変身バンクにこだわるプリキュアファンの気持ちもようやく理解できたような回でしたね。

<当時の記事>
メインの記事はありませんでした。

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 終わりました。何て意外性のカケラもないんだ……と愕然としてしまいましたが、文章を書きながら、「これ別にベストエピソードではないな……」となって外したものもあって、結局のところ、あまり好きではない作品でこの話数だけ大好き!っていうことにはならないのかな、と思ってしまいました。無いことはないのでしょうけど、思い出せないということはそこまでのものだったのかな、と思いました。なので結局、作品としても好きなものばかりになっているような気がしました。納得してないのはアイマスくらいかもしれません。
 5年後にはまた違ったラインナップになっているかもしれませんし、またやってみるのも良いかもしれませんね。

 ここだけおっさんアピールです。
 あまりよく覚えてないのですが、これの最終回を観た幼少期(?)の自分はめちゃくちゃ怖くなってしまい、ここからしばらく眠れない夜が続いたことはハッキリと覚えています。何というか、未来が怖くなる終わり方で、本当にトラウマになりました。再び観る勇気もありませんので、気になる方はよろしければご覧ください……。

<企画ページ>
「マイベストエピソード企画はじめました」