たまこまーけっとの現実感のない舞台描写から見える作品の方向性

 もち!
 たまこまーけっとが始まって、出町柳が舞台になってるってことは公言されていたと思うのでその前提で観ていたのですが、さすが京アニという感じで凄い再現度なんですが、と同時に全く記憶にある出町商店街とは別の光景がそこには広がっていました。見た目はほぼそのまんまなのですが、伝わってくる空気感がもはや出町柳というか京都でもなんでもなく、ともすれば日本ではないような感じにも見えました。で、さすがに薄っすらした記憶だけでそう決めつけてしまうのはダメだろうと思い先日実際に行ってみましたが、そこはアニメで観た光景とは似ても似つかない現実が広がってました。
 正直なところ、名前まで出して協力してる聖地アニメとしては全く見当違いの方向性ですし、その意味からすると1話から大失敗な感じしかしないわけですが、あまり綺麗じゃないものや舞台を描きたがらない京アニではありますがそれでも下町感を再現できないことはないはずなので恣意的にそう描いているのだろうと思いました。そうすると、わざわざ舞台をそのまんま描かなかった理由や思惑が何処かにあるはずです。その辺を少し考えてみたいと思います。

↑実際の出町桝形商店街アーケードのところです。

  • 商店街そのものがファンタジー

 たまこま観ていると、商店街にもの凄く現実感がないことが一目でわかります。もちろん売ってるものは現実の商店街にあるものでもありますしそう大差もないですが、各店舗の店主たちのカラフルなこと。というか、商店街の構成員たちがもの凄くファンタジーの世界の住人なように見えてしまいます。商店街のアーケードそのものもやけに鮮やかなのですが、店主たちの容姿や風貌がうさぎ山商店街の現実感の無さを演出しているように見えます。ジャストミートはさながらジブリに出てきそうなおばちゃんですし、清水屋さんは少女マンガチック、女にしか見えない花屋、女子高生にレコードを聴かせる喫茶店にけん玉を出すおもちゃ屋……。もはやこれに現実感があるかどうかを問うほうがおかしいですよね。
 この辺のファンタジーさは狙っているのだとすると、このうさぎ山商店街そのものがファンタジーな世界なのではないかと考えられます。というのも、あの喋る鳥(以下、鳥)はその厚かましさもあってか商店街に強引に溶け込んだようにも見えましたが、この彩り鮮やかな商店街とその住人たちと比較するとそこまでこの鳥に違和感を感じません。むしろ、商店街の住人たちがあっさりと鳥を受け入れたあたりを考えると、鳥も住人たちもどちらかと言えばファンタジー寄りのキャラクターであるということにもなると思います。
 その中で考えると、たまこの存在がどっち寄りにあるのかが気になるところです。元々はもちろん商店街の住人なわけですし、父が父役でも有名な藤原啓治さんが担当し、妹も妹キャラなどでお馴染みの日高里菜さんが演じているあたりでもの凄くアニメ的なキャラを演出していると思いますし、間違いなくファンタジー世界の住人という感じがしますが、声優が新人さんというあたりでやや違う世界の住人感を出しているのかなとも感じています。

  • たまこが担ううさぎ山商店街への異世界・異文化の流入

 そんなうさぎ山商店街ですが、2話でたまこが提案するまで商店街には「バレンタイン」という文化が存在してませんでした。また3話でたまこが同級生を連れてきてましたが彼女は商店街に足を踏み入れるのが初めてだったらしくこわごわだったような気がしました。
 そもそも1話で鳥が花屋の花に紛れ込んでいたところから話が始まっているわけですが、この鳥そのものが商店街にとっては初の「異物」だったといえなくないでしょうか。鳥がこの商店街に迷い込んだところから物語が始まっていて、たまこにくしゃみされて取り付いてしまうあたりが1話の内容でしたが、この異物である鳥が商店街に入ってきたことがキッカケだったことが伺えます。
 そんな感じで行くと、2話でたまこが商店街にバレンタイン的なものが存在しないことに気づく、という流れにも意味があるように思えてきます。それは、たまこが気づいたということと、それまでは商店街の住人はともかくたまこ自身が気づかなかったということです。つまり十数年生きてきてバレンタインそのものを知らなかったとかではなく商店街にバレンタインを持ち込む発想がそれまで無かった(あるいは却下されてきた)ということにもなると思います。それで、どうして気づけたかというと……1話での鳥との出会いがキッカケだったのではないかということです。鳥と出会っただけなら他の商店街の住人たちもそうなるはずなので、あのくしゃみが何らかのマジカルな効果があり、たまこが商店街に対して違和感を感じられるようになった、とも言えるのかもしれません。
 個人的にこの作品での商店街の設定的なものは、時の流れが止まったままなのかなと思っています。普通なら色褪せたり高齢化みたいな問題が出てきたりとかありますが、そこはけいおんでネガティブな要素を可能な限り取り除いていた山田尚子監督ならではの感覚での鮮やかなままの姿なのかなと思ってます。ただしバレンタインに反応できないくらいには取り残されていて同じような1年が繰り返されていた、のかなと。たまこ自身は学校など外にもコミュニティを持つ普通の子ではありますが、商店街に入ると商店街のファンタジーさや違和感を感じなくなっていたのかもしれません。それが鳥という異物との出会いをキッカケに違和感を感じるようになり、バレンタインという異文化を商店街に取り込むキッカケを作ったとすれば話が見えてくるような気がします。
 また3話でたまこが同級生の史織を連れてきますが、これもまた異物を連れてくるような感覚ではなかったかと思います。たまこのクラスメイトでもあるみどりは商店街の住人ですし違うのですが、史織はそれまでさほど交流も無かったのにいきなり親しくなりたいからと商店街に連れていくわけですが、これもバレンタインの時と同じく今までのたまこの発想では無かったことでもあると思ってます。要は、商店街に関わり合いのない人を商店街に入れる、ということ自体が今まではあり得なかったことなのかなと思っています。
 商店街はああ見えて閉鎖的というか、常日頃から接しているような人としか関わり合いがない場所、という感覚が山田監督の中では商店街観としてはあるのかもしれませんが、これってそれなりにリアルな感覚でもあるんですよね。関西なら黒門市場みたいなところだと色んなところから人が集まってきますが、たまこまの舞台となっている出町商店街はそういう外向きの商店街にはなっていなかったと思ってます。それこそ有名なもち屋である出町ふたばくらいのものでしょう。そういう商店街に同級生とはいえ外部から人を連れてくる、ということ自体が、たまこが人を呼ぶキッカケを作ろうとしていることを示しているのだろうと思います。
 異世界といえば、鳥がモニタで映した故郷の子たちもありますよね。最終的には彼らとの交流を描くことにもなりそうですから、この作品は時の流れが止まったような異世界である閉じた商店街と、商店街の外と異世界との交流をたまこをキッカケにしたものとして描いていくものになっていくのではないかという気がしています。

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 とまあ、思いつくままにざっと書きましたが、自分の中では作品の方向性とか商店街の描写に対する違和感など少し納得できる部分が出て来ました。
 メインキャラたちの声優さんが新人とか無名な若手声優さんばかりになったのも、ポニーキャニオンがよくやる手法でもあるのですがそれにしても素人すぎる演技になっているのに違和感がなくはないのですが、商店街の住人の声優さんたちが割と著名な方々ばかりというあたりも含めて、彼女らと商店街の住人とでは何かが決定的に違うということを示しているのかもしれません。
 山田尚子監督といえばけいおんですが、特にけいおん!!では仲良しグループでどんどん内へ内へとなっていく作品でもありそういう作品が主流にもなりつつありますが、このたまこまーけっとでは内から外へ、という方向性のようなのでその辺は意識しているのだろうと興味深く観ています。
 感触的には、ちと1クールで描くにはしんどそうな感じがするわけですが、今後はどうなっていくのか見守りたいと思います。