智代アフターはリトルバスターズ!エクスタシーの叩き台だった!?

 何を今さらって感じですけど。
 リトルバスターズ!エクスタシーの情報というか、これを出すという流れは、既に「智代アフター」で出来上がっていたんじゃないかって言うことですし、そもそも「智代アフター」自体が、「リトルバスターズ!」あるいは「リトバスEX」を想定しての実験作だったんじゃないかって思うわけです。
 そもそもリトバス自体が、最初は18禁ゲームとして作られていたというのはご存知のとおりです。小毬が屋上でお菓子食べてるシーンのCGが、最初にゲーム画面として公開されたわけですが、そのときはしっかりパンチラしていたわけです。そしてその時のリトバスの仕様は、確か年齢制限未定か何かって書いていましたし…。18禁確定では無かったものの、18禁にするつもりでの開発だったようです。それが馬場社長の一声で全年齢対象になったわけです。
 そして、その前にKeyがリリースしていたのが「智代アフター」でした。この智代アフターは、Keyでもかなり異色かつ新しい試みをされているゲームで、その特殊性はなかなかのものです。そして、リトバスEXへの叩き台だと思われる部分を箇条書きにしていくつか挙げてみたいと思います。

-18禁ゲームメーカーとしての存在感を出したかった?!
 Keyは、AIRからCLANNADまでで4年も沈黙しているわけですが、AIR後くらいからは、Kanonなどのコンシューマ版も発売され始めます。それ以前にKanonの全年齢版やら、ONEの劣化移植版などもありましたが。ただ、Keyが18禁ゲームブランドとして認知されなくなってきたのは、AIR以降でしょう。AIRそのものが18禁ゲームとしてあまり認知されていないことや、Kanonの全年齢版がヒットして、Keyの18禁シーンの評判が逆に悪くなったりと、いつの間にか鍵にエロを求めない人も多くなってきていました。そして追い討ちをかけたのはCLANNADAIRから4年空いたことで、エロありのKeyを知らない人まで多くなってしまいましたから。
 そこで、CLANNADから鍵を知ったって人向けにも作ったと思われるのが「智代アフター」だと思うわけです。
 つまり、鍵はエロもやれるんだ、と言うことをアピールしたかったのかと。全年齢向けオンリーのブランドじゃないんだと。そして、次の新作(リトバス?)への土台を作りたかったのかなあ、とか。まあ、CLANNADのスピンオフ作品てこと(完全新作ではない)などから、その試みはあまり上手くはいかなかったのかもしれませんが。
 
-ボイスによる演出方法を探りたかった
 これまで、鍵の一次作品(移植を含まないオリジナル版)では、声による演出はありませんでした。ただ、時代の流れもあって、声なしで新作を出すこと自体が異端になりつつありました。CLANNADだって、発売前後には「声ないのかよ?!」って話をたくさん聞きましたからね。個人的には、CLANNADは「声なしでの最高のゲーム」だと思ってますし、声が無いからこその、読むだけのゲームだからこその演出が、神がかり的に優れていたと思いますし。
 でも、いざ声を入れなければならなくなったときに、Keyスタッフが「じゃあ、声ありで出来る演出ってなんだろう?」となったと思うんです。その実験作が「智代アフター」だったんじゃないかと。まずはこの作品で、声が入ることで出来ること、出来なくなることは何だろう?とか、そんな手探りで作られたんじゃないかと。その結果はリトバスで、地の文をかなり削って、声=声優さんの演技力に重きを置いて…というかかなり依存して作られたことを観ても明らかでしょう。

-バージョンアップ移植の反響を知りたかった
 智代アフターまでは、Keyにバージョンアップ移植はありませんでした。KanonAIRのコンシューマ移植では、Hシーンを削除してCGを追加しただけの移植でしたから。ただ智代アフターでは(未確認なのでどのくらいかはわかりませんが)、エンディング付近を変更するなど、シナリオの改変が行われています。
 これは、来るリトルバスターズ!で、いったん世に出した作品の改変版・バージョンアップ版を出すための足がかりではないかと。そういうものがユーザーに受け入れられるかどうかを調べたんではないかなあ、と思っています。で、PS2智代アフターが、ユーザー的には成功だったのかどうかはよくわからないんですが、たまに聞くやった人の話では、PC版よりも良かったという感想でしたけどね。

-Keyが新作を作るのに時間がかからないことを証明したかった
 AIRでもそうでしたが、CLANNADのほぼ無期延期ぶりから、Keyは寡作傾向にある、あるいは長期延期が当たり前だ、と言う風潮がありました。それを払拭したかったんではないかと。そもそも麻枝さん自身は遅筆でも何でもないわけですからね。それに、原画や音楽を分業することで、サイクル良く新作を出せる体制を作りたかった・あるいはそれを試したかったんだろうなあ、と。
 実際に、その試み自体は成功し、CLANNAD発売以降はかなりコンスタントに出せるようになりました。こういうスピンオフものでも、ファンは嬉しいものですからね。

-ライターを育てたかった
 単純にそうなのかな、と。リトバス以前に涼元悠一氏がKeyを退社し、Keyに残ったライターは麻枝さんただ一人になりました。都乃河勇人氏はCLANNAD後の入社でしょうから、いきなり新作(リトバス)のライターとしては厳しい。となると、間に一作品挟まないといけない。が、新作を一から作ってる時間も余裕も無い…。となると、スピンオフ作品しかなかった…のかなあ、と。
 と言うのも、リトバススタッフで智代アフターに関わっているのって、麻枝さんや樫田レオさん、アシスタントとしての都乃河さんなど、ライター側の人間ばかりなんですよ。原画はフミオ氏ですし、音楽はほぼ戸越まごめさんでしたし(リトバス開発初期で退社)。来るリトバスへ、原画陣へ負担をかけずに開発したかったようですし。ライター陣の整備や地ならしの意味合いがあったことは間違い無さそうです。
 その意味では、リトバスへのいい地ならしにはなったんだと思ってます。

 まあこんなところでしょうか。
 長々とあまり面白くないことを書いてしまったんですが、智代アフターが、色んな意味で今回の「エクスタシー」への足場になっていることがわかると思います。
 評価は微妙だった智代アフターの二の舞にならないことを祈るばかりですがww