なぜ岡崎朋也の職業は電気工だったのか? 光の玉との因果関係から〜CLANNAD AFTER STORY考察

 CLANNADという作品は、色んな部分・要素につっこみ要素が満載なんですが、それでも突き詰めていくとそのほとんどに答えが用意されていたり、類推できたりします。世界観的に懐が深いというか、非常によく出来ているんですよね。その中で今回は、何で朋也はCLANNAD AFTER STORYで電気工(合ってますかね?)の仕事に就いたんでしょうか? と言うか、何故電気工だったんでしょう? その部分にも実は意味が秘められています。アニメではその部分をあまりクローズアップすることはありませんでしたが。
 
 朋也の仕事内容はほとんどが、電柱に上っての配線とかあるいは街灯設置のようです。それはすなわち、町の風景を変えていくことともつながります。そして自然破壊にも…。そうです。朋也は自分の仕事で、町の自然を奪っていくことに加担しているのです。自然を壊すと言うのはあまりに言いすぎですが、町の風景を変えていくことをある意味では生業としていると言うことです。
 朋也はあまり、自分の仕事に対して悪いイメージは持っていないようですし、風景を変えていることに疑問を持つことはありませんが、汐が病気になってしまった後に仕事を辞めるところには、そんな事情もあるのではないか…と類推しています(これは妄想ですが)。最期の方は、町に対しては憎しみしか残ってませんでしたしね。
 しかしながら、そんな変わってしまった町を、トゥルーエンドの時(AFTER22話)の朋也は好きになっています。そして町に光の玉が舞うシーンが。でも「光の玉=人々が幸せを願う想い」なのだったら、あの場面で町中にそれがあふれ出るのはおかしいのでは無いでしょうか? というのも、朋也が集めた(あるいは朋也の元に集まった)光の玉というのは、町全体からすれば非常に限定的で微々たるものですからね。
 じゃあ少女が自分の想いを解き放ったからでは? とも考えられますが、それだけ凄い力を持っているのであれば、21話で汐と朋也を助けられたのでは?とも思います。そこで考えられるのが、「朋也(たち)が設置した街灯の光」です。
 有紀寧が、昔はこの町には光の玉が至るところにあった、と言ってました。裏返せば、今はあまり無い、ということです。それは、一つには人間関係が希薄になってしまった(他人にあまり関心を示さなくなった)ということと、自然が失われたことが考えられます。前者はともかくとして、後者は「明るくなり光るものが目立たなくなった」という解釈は出来ないでしょうか? 蛍の光だったかもしれませんしね。それが電灯の明かりで町全体が明るくなり、見えなくなってきたとか。
 でもトゥルーエンドでは、それら街灯や家の団欒での電灯の「光」が、町全体を包む幸せな光景を生み出した、あるいは物語っている、という解釈に行き着くわけです。うーん。かなり強引ですね。
 つまりは、朋也は知らぬ間に町に幸せを生む「光」を増やしていった。それが、嫌いだった町が好きになれた瞬間に光の玉として現れた、と言うことです。
 一応この考えには元があります。アニメ一期18話で流れた杏のテーマ「それは風のように」のボーカルアレンジ曲「オーバー」(ソララドクラナドアレンジボーカルアルバム)の歌詞に内容が書いてあります。もちろん作詞は麻枝准です。

2時が過ぎて僕らはもう迷った
徒歩でどこまで?
夢に見た遠い場所まで

新しいものなんてなかったこの町にも
知らない景色が増えていった
 
ひとつめの角なら目をつむっても曲がれる
はりきって頭をポストにぶつけて君は泣いた

どんな言葉をかけても
君はすねたままで歩き続けてた

この町が夕日に包まれてた 
立ち並んだその影をオーバー

9時をすぎて僕はやっと気づいた
暗闇の中 眠たげに 目をこすって
まぁどうぞこちらに来て立って 眺めてごらん
光の数だけ増えたものを
 
変わり果ててしまって自分ひとりが残される
それは寂しいことだといって君はまた泣いた

躍起になってまた目をつむって 
今度は走っていった君の
その先にもずっと続いていくよ 
光に照らし出された道

 一部だけ省略してあります。前半部分は、変わってしまった町の姿を嘆く少女?が、後半部分は、そんな変わってしまった町を悪くないよと紹介する朋也?と、やはり変わってしまったことを嘆く少女?の姿が読み取れると思います。歌詞は秀逸すぎます。原作をプレイ済みの人なら、歌詞の意味に「うあぁぁぁぁ…」となるでしょうw
 この中に、「光の数だけ増えたものを」とありますが、これがそのまま、朋也が増やした街灯などの人工的な「光」を意味するんじゃないでしょうか? 変わり果ててしまった町の風景の中で増えた光…と考えると、想いの結晶である光の玉、とするよりも、人工的な光のほうがしっくり来ないですか? 少女は受け入れられない感じですが、最終的には朋也が町を受け入れることで、少女もそんな変化を受け入れた。だからこそ、当初からは変わってしまったけれど、幸せな光景を生み出したあの場所に再び現れたのかなあ…と。
 
 ワケのわかんないことをつらつら書いてしまいましたが、つまるところ「光」繋がりってことですね。「光の玉」だし「ヒトデ」だし「街灯」だしで。CLANNAD全体が「光」をカギにしてる部分があるので、朋也の職業が電気工というのは、そんな光に繋がる職業だからってのがあるんでしょう。
 …納得できたでしょうか(汗。