ガルデモ曲の歌詞内容がAB!本編でほとんどフォローされていない理由とは?〜AngelBeats! 考察

 先日Girls Dead Monster(ガルデモ)の3rdシングル「Little Braver」の話を書いていてふと気づいたことなんですが、ガルデモ曲で歌われている(歌詞内容の)場面って、これまでそのままアニメ本編で流れたことが多くなかったと思いませんか? この前に取り上げた「Answer Song」の内容なんて、ユイがこの世界で生きてきて見てきた、感じてきたそのものが歌われていたとしか考えられませんよね。なのに本編で描かれた部分はそのほんの一部……という。
 勿体無いなあと思いましたし、Twitterのフォロワーさんからも確かにそういう声が挙がってました。もちろん当たり前の反応だと思うんですよね。AB!本編で描かれたユイにゃんは、この歌詞内容から推測するにほんの一部でしかありませんし、そのキャラクター性や魅力が完全に表現されていたとはとても言い難いわけです。それではなぜそういうことをしてしまったんでしょうか?
 端折ったとか尺の問題とか色々と言われそうですが、個人的にはそれとは全く異なる理由を見つけています。

    • -

 AB!の描き方を考えてみましょう。あくまで音無視点なんですよね。心情描写については、音無だけは深く掘り下げていますが、その他のキャラに関しては、音無に対して打ち明けた部分でほぼ全てなわけで、それ以上に心情描写はしてませんし、そのキャラのモノローグを長く展開していたわけではありません。つまりは、音無と音無が見えている世界が全てなんですよね。今のところ、音無視線以外の描写はもちろんあるのですが、音無視点以外の場面はほとんど無いはずです。
 これって、ギャルゲーで麻枝准がずっとやってきたことなんですよね。リトバスまではずっと、主人公のモノローグだけでほぼ全てを描ききってしまうという手法で描いてきましたので……。AIRCLANNADがその典型例ですよね。CLANNADなんて、現実世界と並行していた幻想世界ですら、主人公の意識の視点でしたからね。
 この手法をなぜ麻枝准が好むかと言えば、理由は簡単です。ユーザーと主人公の視点を近づけるためです。ユーザーは、だいたいが自分の見える範囲しか見えないわけですが、それをゲームの主人公も同じようにしていて、ゲームをしていて主人公がより自分と近いと認識させることにより、シンクロ率を高め、感情移入しやすくしているのだと考えられます。と、これはゲームでの話ではありますが、実はアニメでも同じことが出来るんじゃないかと麻枝准は考えたのではないかと思うのです。でなければ、アニメならゲームよりも色々なキャラの視点から展開出来るわけですし、視点変更も頻繁にやってる作品もかなり多い。その中でAB!は主人公視点からブレていないわけですから、そこにこだわりを持っているんでしょうね。1話でゆりっぺが音無に「順応性を高めなさい。あるがままを受け入れるの」というセリフは、音無に対するものであるのと同時に、僕ら視聴者へ向けたメッセージでもあったのかと今では考えられます。
 話を戻します。それと、ガルデモCDの場面があまり描かれていないこととの因果関係はあるのか、という話になりますが、もちろん大ありです。アニメでは音無視点だけしか描かれていない。しかしガルデモ曲の中では、音無視点ではなく、岩沢か、もしくはユイの視点で詞が描かれているわけです。どういうことかと言えば、つまり音無視点が存在していない時点で、ガルデモ曲の詞の世界では「音無が知らない世界」「音無が見ていない世界」が存在すると言うことです。
 
 麻枝作品ではよくあることなんですが、主人公が見えている世界が描かれる世界としてはほぼ全てなんですが、主人公が見ている世界はごく一部で、見えていない部分はたくさんあるんですよ。その見えていない部分で、主人公が接しているキャラクターたちは、止まっているわけじゃなく生きている、動いているわけです。ただそこは、主人公には見えていないので敢えて描写することはしてません。
 しかしながら、その部分を歌で補完することも麻枝作品ではよくあることなんですよね。典型例はCLANNADです。CLANNADのイメージボーカルアルバムとして出された「ソララド」は、その収録曲全てが幻想世界に出てくる少女視点で歌詞が描かれていると言う、ゲーム発売前に出すにはあまりにもネタバレすぎて誰もゲーム本編のネタバレだと気付かなかったと言うシロモノでした。ゲーム本編では描かれていない少女視点での、CLANNADの世界観を描いたと言う意味では、まさにガルデモ曲に通じるものがあるんですよね。リトルバスターズ!でもそれは踏襲されていたと思います。リトバスでは、重要な場面のボーカル曲の視点がほとんど棗恭介だったというカミングアウトがされていましたが(汗。あれも、主人公たちの視点では見えていない部分を描いたと言う意味では同じですよね。同じく、EXなどで追加された朱鷺戸沙耶シナリオで流れる「Saya's Song」も、主人公視点ではなくヒロインである沙耶視点での歌詞内容になってました。
 こうやってみると、ガルデモ曲で描かれている内容が本編に使われていないのが、何ら不自然なことでは無いと思いませんか?w もちろん補完の意味はあるんでしょうが、アニメ本編ではあくまでユーザーには主人公が見えている情報と視点しか映し出していないので、サブキャラ視点はこういう形で反映せざるを得ないわけです。せざるを得ないという言い方は良くないのですが、実はこんなことを思っていて、こんな風に世界を見ていて、こんな風に生きていたんだよ、と言うことを歌という形で補足したような形でしょうか。
 ちなみに、Twitterのフォロワーさんに教えてもらったんですが、岩沢(marina)が歌った「Crow Song」も、今歌詞を見返すと凄く意味深ですよね……。別に自分自身のことだけを歌ったわけじゃなく、音無や戦線メンバーたちに対しての歌にも聴こえます。「My Song」なんか、自分自身のことを歌っているようにも、残していくユイのことを歌っているようにも見えたりしますね。この辺も、岩沢視点では本編では描かれていないわけですので、歌の形でその想いを遺した……そしてそれがユイへと引き継がれた、と読み取ることも出来ると思います。

      • -

 こんな回りくどいことをせずに本編で別視点を出せばいいじゃないか! とかそういう声も挙がりそうですが、麻枝准がそう描くことにこだわりを持っているのだとしたら、別視点を描けよ! とはなりませんし、自分の曲によって別視点を描く手法は、恐らくは麻枝准しか出来ないオンリーワンな部分でもあると思うので、ぜひまたやって欲しいですね。
 
 つまりは、ガルデモアルバムが今から楽しみすぎると言うことです(何。完全新曲も入ってますし!←重要 何せ全曲麻枝准が作詞作曲してるアルバムはこれまでで「Love Song」しか無かったわけですからね。これまでの9曲で語られていなかったことも、収録される新曲で書かれていることでしょう。
 


Twitter「つぶやく」ボタン