Angel Beats!最終巻のアナザーエピローグから読み取れるものと、麻枝准の結末の描き方について

 AB!最終巻が届いたので、14話(特別編)とアナザーエピローグを観ました。特別編は正直、何をやりたかったのかわからないような、最後にこれを視聴者に見せて果たして喜ぶと思ったんだろうか? と非常に疑問に思いました。
 そしてアナザーエピローグです。これを観た人の様々な憶測や失望が渦巻いているようですが、個人的にはあまり深刻には考えていません。というのも、そもそもこれは「アナザー=もう一つの」エピローグってだけの位置づけだと思っているからです。
 つまりは、あれは一つの可能性を語っているに過ぎないんじゃないか? と受け止めているのです。
 そもそも本編最終回のCパート自体が、あれを正史とすることで「偶然ってそんなに簡単に起こるのか」ということになってしまいますし、個人的にAB!って、本編最終回の「一番の宝物」が流れた場面で終わっているのだと思っています。Cパートやアナザーエピローグは、その後訪れる可能性を製作者側が見せただけなんじゃないかと思うわけです。でないと本編で描いてきたこととのつじつまが合わない部分がたくさん出てきますからね。

 ただこの考え方って、通常のアニメ作品(しかも原作なしのオリジナル)から考えると全く通用しないとは思います。だって、アニメって基本的には分岐の無いものですし、結末も一つしかない一本道な表現媒体でしょう。なので、色々と想像出来る結末を用意することはやり方としてあるのかもしれませんが、このAngel Beats!でやってしまった、二つ以上の結末をハッキリと明示するやり方って、アニメ作品としては禁じ手なんじゃないかとすら思ってしまうのです。
 麻枝准って結末を描くのはあまり上手くないですよね。ぼやかして明示しない場合は素晴らしいものが多いのですが、明示してしまうと割と台無しになってしまってるケースが多いような気がします。都合良すぎな終わり方だったり、蛇足が過ぎたり、描かなければ生まれた様々な可能性を潰したりと。今回はそれを親切心(?)からどんどん描いてしまって、かつ尺の問題からか描ききれなくて、こんな中途半端な形になってしまったんだろうなあ、とか考えています。
 まあぶっちゃけ、何がやりたかったのかすらよくわからない最終巻だったな、ということですね。これは酷い感じでした……。

<参考>
「Another Epilogueの考察」(fummyのkeyノート)

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