佐倉杏子が美樹さやかに渡したりんごの意味するものとは?〜魔法少女まどか☆マギカ考察

 ほぼ、毎日杏子のことを考えていますw
 凄く気になっていた、まどか☆マギカ7話で杏子がさやかに渡した「りんご」の意味です。あれがりんごである意味が何処にあるのか、あるいはそれをさやかに渡したのはどういう意味なのか、というのを色々と考えていましたが、だいたい答えがまとまってきたので書いておきたいと思います。
 そもそも、杏子は親愛の証なのか友好の証なのかはわかりませんが、誰かと共闘したり意気投合するときに食べ物を渡すわけです。ほむらにはポッキーのようなもの、さやかにはりんご、まどかにはうんまい棒という風に。そして杏子はいつも何か食べてるわけですが、その食べているもので唯一の生物が「りんご」なんですよね。これだけでもさやかだけ特別扱いしていることがわかると思います。
 ではまず、ほむらとまどかに渡したモノの違いとは何処にあるんでしょう?

  • 杏子が、ほむらとまどかに渡したモノの違いに観る真意

 ポッキーとうまい棒なので太さがまず違うということで、杏子が信頼度の意味で差をつけた可能性はあるのかもしれません。自分を、あるいは真意を話さないほむらに対してはやはり信頼度が低いのでしょうか。自分から手を差し出してきたまどかは疑いようが無いので、あれだけのやり取りで杏子も信頼できたのかもしれません。
 ただ個人的には、何をあげたのか、というよりはあげた時の形態の違いにこそ真意があると観ています。それは……開封済み(食べかけ)か未開封か、です。
 ほむらに対して開封済みのお菓子を差し出したのは、同じ魔法少女だから、でしょう。同じ「魔法少女になってしまった」あるいは「普通の人間(少女)ではなくなった」対等の相手だからこそ、なんでしょうね。
 逆にまどかに差し出したうんまい棒が未開封だった点については「まどかが魔法少女ではない」「普通の人間(少女)のままだ」という示唆でしょう。魔法少女が穢れた存在であるという認識は、杏子のように奇跡がそれを超える呪いを生むことを知っているのであれば理解しているのでしょう。そんな穢れた存在である自分と、まだ無垢なまどかとは違うことを、新品のお菓子を差し出すことで暗に示唆しているのだと思います。

  • 杏子がりんごをさやかに渡したことについて

 杏子がさやかにりんごを渡したところは、結構色々な要素が含まれていると思います。例えば、ほむらに対しては「食うかい?」とポッキーを差し出して選択肢を与えているのですが、まどかの時はまどか自身が先に手を差し出してきたこともありましたがそのまままどかに渡しています。そしてさやかの場合は、りんごを投げて無理やり受け取らせています。これだけでもずいぶんと違いますよね。ほむらに対しては、手を見せないこともあってか探りを入れている感じがわかりますし、まどかは探るも何も向こうから友好の証を示しているので直接渡しただけでしょう。で、さやかに対しては凄く「受け取らせたい」という強い主張を感じました。
 次に、何故「りんご」だったかについてですが、りんごが禁断の果実の意味で取られる場合がある、とかそういう方面でりんごそのものに意味を見出そうとしたりもしましたが、どうもあまり決定的な意味はなさそうな気がします。とすれば、単純に杏子自身のカラーである「赤」繋がりだった、と単純に捉えてみました。つまりは「りんご」は杏子自身を示しているということになります。そもそも杏子がなまものを食べているシーンがりんごしか無かったりだとか、何も手を加えていないものであることも意味があると思います。りんごをさやかに投げて、それを受け取らせようとしているという行為の意味は、まさにさやかに裸の自分自身(の生き方も含め)を受け止めてほしい、受け入れてほしいというメッセージだと言う事になります。
 そうすると気になるのは、杏子自身であるはずのりんごがたくさんあった、というところになります。魔法少女として契約する前に食べるものにも困ったという過去からの反動、と見るのが普通なんですが、普通なら食べきれないような量の、しかも杏子自身であるはずのりんごというところから、他のお菓子とは意味合いが全く異なると考えています。杏子がたくさんいる……という示唆は、杏子が余分なグリーフシードを持っているという意味なのかもしれません。余分なグリーフシードがあるというのは、それだけ自分自身であるソウルジェムの穢れを取れるという意味で、つまりは杏子の残機がたくさんあることを示しているのかな? と考えてみました。単純に何度も死ねる、というわけではないでしょうが、この時点での杏子には後がないというわけではなく、更に言えばたくさんあるりんごのうち1つだけを投げるという行為は、さやかに対して杏子が自身の全てをさらけ出しているわけでも、全てをさやかにぶつけているわけでもない、ということを意味しているのだと捉えました。そう考えると、さやかがここで杏子のことを一部しか受け入れなかったのがわかりますよね。裸になっていない杏子を、割と鋭いところのあるさやかですから見抜いていたのでしょう。
 長々と書きましたが、つまりは9話のあのシーンに繋がるわけです。魔女になったさやかは、まどかの叫びには全く反応しなかったのが、杏子の叫びには反応していたということで、杏子の声は届いていたのかもしれません。が、そもそも魔女化してしまえば、魔法少女が普通の少女に戻れないように元には戻れなさそうですし、説得は不可能だったんでしょう。そこで杏子が取り出したのが、自分自身であるソウルジェムだった、というところに繋がるわけです。つまりは、あの時のりんごが、ここでのソウルジェムに変わったのだと考えています。
 魔法少女にとってソウルジェムは自分自身で、それが壊れたり穢れが溜まると死ぬわけです。つまり杏子は、代わりも退路もあったあの時とは違い、自分自身の命と引き換えにさやかの心にぶつけていた、という解釈になるわけです。さやかの心がどれだけ残っていて、どう反応したのかとかは全くわからないままですが、自身の命をぶつけてきた杏子の想いであれば、さやかにも届いて精神的には救われたんだろうな……と思います。そしてふたりは精神世界の中では、ふたりきりかもしれませんが幸せになれたんじゃないかと思いました。

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 とまあ書いてみましたがどうでしょうか? 非常に凄い仕掛けですし、割と細かいところまでちゃんと意味のある作りになっていて、考察のしがいがありすぎますw 少しでも疑問に思う部分があれば、また徹底的に調べたり考えたりしてみると面白い答えが導かれるのかもしれません。そして、考察がより杏子やさやかを好きになる一因にでもなり、更には「魔法少女まどか☆マギカ」という作品をより深く好きになれるのなら幸せですね。

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