魔法少女まどか☆マギカ 最終回Cパートの描いた未来とは?

 まどか☆マギカ終わりましたね……。どう言えば、どうツッコめばいいかが非常に困るような、でもこう納得出来る部分もあったような、個人的にはやはり凄い作品だったな……というのが今の心境です。肯定的に観た人、そうではなかった人、色々あるとは思いますが、オリジナル作品である以上はこれが正史ですし最適な終わり方だったんだと思うことにします。
 さてとりあえずは、12話のCパートの意味について考えてみましょう。荒野で巨大化した多数の魔獣に、翼がどす黒くなってしまったほむらがたったひとりで、脳内?に聞こえてくるまどかの「がんばって」という声に笑みを浮かべて、魔獣たちの攻撃を受けつつも飛び上がって、全てを巻き込んでいく……という終わり方でした。
 これって前向きにも後ろ向きにも考えられる終わり方というか終わらせ方なんですが、どういう意味があるんでしょうか? 凄く短いのですが、それぞれの要素をひとつひとつ考えてみようと思います。

※4月26日更新。この記事から更に発展させた記事を書きましたのでよろしければ。
http://d.hatena.ne.jp/rikio0505/20110426/1303819931

  • 荒野と多数の魔獣の意味

 これはどういう意味なんでしょうか? 魔法少女が魔女を産まなくなり、魔法少女として死ぬと消滅してしまうわけですが、でもこの世から憎しみとか絶望がなくなったわけではありません。新たに「魔獣」という存在が魔女の代わりに憎しみを具現化したような存在になり、それらと魔法少女たちが、あるいはほむらだけが立ち向かっていたんだと思います。
 その後はどうなったか想像でしかわかりませんが……。まどかが吸収した穢れの大きさが現実に反動となって降りたか、あるいは魔法少女たちが背負い魔女となることで人間にぶつけていた憎しみや絶望のはけ口がなくなってしまい、結果としてはより大きなものに成長してしまったのかもしれません。巨大化したかどうかはちょっとわかりませんが、強力になってることには違いないと思うので変質していることは間違いないでしょう。
 荒野なのは、ほむらが砂漠に行って魔獣と戦っている……というわけではないのでは無いでしょうか? 根拠はあまりありませんが、あくまでもあの街を舞台にして戦ってきていたわけですしね。とすると、既に彼女たちの住む街は街じゃなくなってるということにもなるのですが……。砂漠にまで行って魔獣を追い詰めているという風に解釈できなくもないのですが、だとしたら留守にしてる見滝原市はどうなってるんだということにもなりますので……。

  • 翼がどす黒くなってしまったほむらがひとりだったこと

 先程の項で触れた、この場所が何処かということにも繋がるのですが、そもそもほむらは何でひとりだったんでしょうか? 前項で触れた、元々は見滝原市だった場所だったとする場合だと、他の魔法少女たちが全滅してしまったという可能性が出てきてしまいます。逆に荒野にまで侵攻した場合だと、今度は他の魔法少女達に見滝原市を任せているということにもなりますが……。どうも都合が良すぎるのでやはり前者なのではないでしょうか? ほむらはループを重ねて強くなってますし、何より神のような存在にまでなったまどかがバックに付いてますのでかなり特別な魔法少女となっているのかもしれません。
 全く別の考えとして、ここのほむらの時間軸は10話3ルート目とも繋がってない可能性もあるにはありますが……。
 ただし、Bパートでは白かったはずのほむらの翼がここではどす黒いというか禍々しい色をしていました。この意味は……やはりまどかが吸い込んだ穢れと、ほむらが魔獣との戦いで受けたり自身が負った悲しみを顕しているのでしょう。つまりはソウルジェムが濁ってきているという意味でもあるのだと思います。しかしながらほむらが消滅しないのは、まどかの声が聞こえてくるからに他なりませんよね。まどかの願いを守るために、あるいはまどかの声が聞こえてくる限り、ほむらは絶望したり諦めたりしないからこそ生き続けていられるのだろうと思います。

  • ほむらの翼が魔獣たち全てを巻き込んでいくような終わり方とは

 これは、ほむらの禍々しい翼が魔獣たちを、というよりは、画面全体を侵食してしまった、という風に考えています。全部をまどかの色に染めてしまったというか、穢れを穢れで覆い尽くしたというか、そんなイメージなんじゃないかと思ってます。毒を持って毒を制す的な。

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 以上は、観ていて感じたことではあるんですが、ではそれらから、このCパートが描いた未来がどんなものなのかを考えてみたいと思います。

  • 魔獣が白で、ほむらの翼が黒であることの意味とは?

 凄く気になったのが、魔獣たちは白いんですけど、ほむらの翼は黒いことですね。最初はほむらの翼も白かったのに途中から黒くなったのと、そもそもほむら自身のカラーリングが黒主体なことで、ほむらに関しては真っ黒に近いんですよね。
 ソウルジェムが濁っても黒くなりますし、グリーフシードが穢れを吸い込んでも黒くなりますし、基本的に黒はこの世界というかイメージ的に穢れの象徴でもありますよね。ほむら自身が黒のカラーなのは別にそういう象徴の意味ではないとは思うのですが……。ただ、まどか☆マギカという作品を根本から考えてみると、全ての始まりはほむらなんですよね。
 まどか☆マギカは、10話の1ルート目から時系列的には物語が始まっていて、既にまどかとマミは魔法少女であることは覆すことが出来ない事実です。それをほむらは、そんなまどかの死を「まどかとの出会いをやり直したい」という願い事を叶えてもらうことによって覆そうとしたところから「魔法少女まどか☆マギカ」が始まったのだと思っています。
 この作品は、ほむらがやり直すことで様々な経験を積み、色んな選択肢を試し、その結果より大きな悲しみを生む構造を創りだしてしまったあたりが肝だろうと思ってます。その結果としてまどかのあの願い事があったわけですし、最終回Cパートまで繋がっていったのです。ほむらがまどかの死を受け入れさえすれば、あるいはほむらの願い事が「出会いをやり直す」という時系列を歪ませてしまうような類の願いで無ければ、あのまま見滝原市は災害で壊滅的な被害を受けた街でその中で2人の魔法少女が散った、となって収まっていた話なのです。それが、ほむらの願い事とその後の行動、そしてそれがまどかに及ぼした影響力と辿りついた願い事が世界の法則さえも変えてしまったわけです。そもそも、ほむらの願いは死を覆すという類のものですからかなり禁忌の要素が強いものですよね。それ故に黒を基調としたカラーリングになってる……とは思わないんですけど、最後の翼が黒かったのとは凄くつながってくるんですよね。
 そして対する魔獣はなぜ白かったのか? が謎なんですよね。最初はほむらの翼も白かったので実は似たような存在だったという可能性もありますけど、Cパートでは黒に対して白、ということになってしまいます。白って普通は純粋だったり正義だったり綺麗なイメージですよね。単純に黒いほむらとの対比での白、というのはわからないでもないんですが、悪役であるはずの魔獣たちが白いのがちょっとイメージ湧かないんですよね……。どういう意味なんでしょうか?
 色の示す意味を素直に考えると、むしろほむら(とまどか)が悪役で、実は魔獣は絶対悪ではない可能性すら出てきます。そういえば、魔女は使い魔が進化してなるものもあれば、魔法少女ソウルジェムを濁らせたりグリーフシードが発芽したりしてなるもので、そもそもは魔法少女なり人間の絶望の想いだったりするんですよね。なので魔女ですら絶対悪では無かったわけです。同じような仕組みであるとすれば、この魔獣とやらも同じように絶対悪とは言えないのではないかと思います。やけにオッサン顔だったことも含めて考えると、魔女が元々女の子だったのに対し、魔獣は男あるいは他の動物の成れの果てではないでしょうか? 魔獣とやらの描写が少なすぎて、どういう性質でどういう存在なのかとかが全くわからないのですが、少なくとも魔法少女とは遠い存在なのでしょう。
 魔獣は、まどかの意思に反する想いの集合体なのかもしれませんね。まどかが神のような存在になり、彼女の意思こそが正義という概念を植えつけようとはしているものの、それに反する思いだったり、あるいは世界そのものがつじつまを合わせるために、まどかを潰すために産ませた存在なのかもしれません。だからこそ、どれだけ人類がめちゃくちゃになろうとも、ほむらがまどかの意思を背負って戦い続ける限りは生まれ続けているのかなと考えています。
 つまりは、無限の戦いをしているということになるのかな、と思っています。そして彼女たちは世界に対する彼女たちどちらかが諦めかけても、どちらかがそれを制すれば永遠に続くことかと思います。どちらもが諦めない限りは……。

  • まどかとほむらはどういう状態で、どうなってしまうのか?

 まどかは意思となって魔女を生むことを止めさせているわけですが、そもそも憎しみや絶望のはけ口として機能していた魔法少女→魔女→グリーフシード→魔法少女というサイクルと、魔女たちが人間を恐怖や絶望に陥れれるシステムが無いために、多くの穢れがまどかに集中しているような状態だと思います。受け止め続けているとはいえ、元はただの女の子ですからいずれ限界が来るんじゃないかな……とも思ってます。その限界が来るのを強い意思とほむらとまどかの互いの存在と信頼感でつなぎ止めているだけですからね。まあこの二人の信頼感は揺らぐこともないのでしょうけど……。
 まどかの願い事の大きさは、恐らくそういう次元の「やってはいけない」ような禁忌的なことなんだと思います。ほむらがやっていることがまどかの願い事を産んで、まどかが願ったことをほむらが叶え続けてる。多大に助け合ってると言えなくもないのですが、お互いが戦いを続けないといけない状態にお互いがしてるということで、互いに傷つけあってるだけとも言えるんじゃないかと思います。
 また、彼女たちが結局何のために戦い続けているのかも曖昧になってしまっているんですよね。まどかは自分の願いの正しさを求め続けてますし、ほむらはそんなまどかをサポートするために戦ってますが、もしCパートのあの場所が見滝原市だったとしたら……? 既に守りたいものが街そのものでは無くなってしまってますし、本来不幸になるはずのなかった人たちも不幸に巻き込みながら、ある意味自分たちのわがままを押し通すための戦いをしているんですよね。これって、ほむらが当初していたことと全く同じようなものですよね。まどかを救いたかったはずなのに、ループするたびにまどかが直面する悲しみや絶望の度合いがどんどん濃くなってしまっているという……。
 恐らくは、まどかの願い事そのものが不完全というか欠陥が多すぎて、そのひずみから色んな災難が降りかかっていて、これからも更に降りかかるのでしょう。そんな中でも、まどかとほむらは互いの存在があれば生きていける、というだけだと思います。その信頼感というか友情というかもはや愛情と言ってしまってもイイですが、そのためだけに生き続けていて、そして世界と戦っているのでしょう。

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 これをグッドエンドと呼ぶかバッドエンドと呼ぶかは視聴者に委ねられていると思いますが、虚淵さんとしては「まどかとほむらが信じる道を進むことそのものがグッドエンド」とでも言うんでしょうね。構造的にも、あのまま戦い続けたとしても、恐らくは大半の人が考えるグッドエンドには成り得ないのは明らかですけども。
 本来であれば、杏子が魔女さやかと心中したああいう終わり方が魔法少女の最期としては一番幸せなんでしょうけど、終わりたくない、終わらせたくないのだとすれば、まどかとほむらが取ったああいう結末しか幸せとは言えないのでしょうね。


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