巴マミは何故魔女にならないのか、についての考察や推論〜魔法少女まどか☆マギカより

 劇場版魔法少女まどか☆マギカ新編の2度目の観賞も済ましてきまして、今度はじっくりと堪能してきて、やはり本編同様に密度の濃い内容になっているんだなあと認識を改めました。ほむほむ可愛かったですね。
 さて今回はちょっと志向を変えてみまして、巴マミことマミさんが何故魔女にならないのかってところを考えてみようかと思います。
 新編でついに魔女になってしまったほむらでしたが、本編で既に魔女化していてその流れの状態で新編に出ていたさやかだったり、本編のループの中では魔女化していたまどかだったりとこの3キャラに関しては魔女化していますし、その理由や原因も明らかになっています。が、マミさんに関してはあれだけの魔法を使いながら魔女化するどころか、ソウルジェムが濁り切る描写すら新編でもついにありませんでした。
 さやかが魔女化してしまったのは本編を観ればわかる通りですし、まどかが魔女化してしまう時も1度目はよくわかりませんが、2度めのソウルジェムが濁りきってほむらに撃ってもらったときは若干この先の世界や自分が生き続けていくことへの悲観や諦めがあったように感じました。また、ほむらが新編で魔女化してしまったのは魔力切れの可能性が高いのですが、どうも新編を観ているとまどかが概念としてしか存在しないかつ自分以外誰も覚えていない世界で一人戦い続けていることに絶望して……魔女化したような節も見受けられます。
 魔法少女が魔女になる条件は魔力切れもあるようですが、他にも単純に「生きていくことに絶望してしまう」ことがあるんでしょうけども、もっと大きな原因になりそうなのが「願いが呪いを生むこと」あるいは「願いや目標が叶わないと絶望してしまう」ことなのではないかと思いました。そういう前提を考えた上でそれぞれの願い事を考えてみると……、まどかは魔女化した時には何を願って魔法少女になったのかがよくわかりませんが、さやかは恭介がまたバイオリンが弾けるようになって欲しいという「願い」が結果的にさやかとの距離を広げてしまったという意味では、「願い」が「呪い」を生み出したということになるのだろうと思います。ほむらが魔女化してしまいそうになった本編でもワルプルギスの夜を倒せない=まどかを守るという「願い」が叶わないということだったでしょうし、新編ではそれを通り越して自分の深層心理にある「まどか自身のやるべきこと」を否定して「まどかが欲しい」という自らの欲望から呪いを生んでいたようにも感じました。
 そう考えると、マミさんにはそうした理由が生まれない、あるいは生まれても魔女にならない理屈があります。それはマミさん自身の願い事に起因するものです。そう、彼女の願い事は(正確にはわかりませんが)「死にたくない(生きていたい)」だったのでしょうから。そのために、その願いを否定することは「生き続けることを辞めたい=死ぬ」ことを意味するのではないかと思うのです。
 もちろん、魔力切れでソウルジェムが濁り魔女化する可能性自体はあったのだろうとは思います。が、ワルプルギスの夜と死闘を繰り広げた後に敗れ去った時にも魔女にはなってなかったことを考えると、魔女化せず魔法少女のまま息絶えるパターンもあるということもわかりますし、3周目のループでは杏子を殺してほむらを殺そうとしてましたし本当ならソウルジェムが濁るような場面のはずですが「みんな死ぬしかないじゃない!」のセリフとともに皆殺しにして自分も死ぬか愛弟子のまどかとともに自決するつもりだったのだろうとも思います。魔女を倒すことで魔法少女である自分を正義としてアイデンティティを確立していたという側面もあることから、魔法少女が魔女になることを受け入れられたとしても自らがそうなりそうになった時には迷わず自殺するように考えています。生きがいはあくまでも魔女から街の人を守ることなのは間違いないですしね。円環の理が成立した後の世界だと、魔女化がない世界なので精神的な弱点は補われそうですが逆にソウルジェムが濁ることもあるのかもしれませんね。
 実はもっとソウルジェムが濁りにくく魔女化しにくいキャラがいます。敢えて外して書かなかった杏子です。彼女の場合、願いは1度否定されて一家心中となり1人取り残されましたが、そこで自らを否定はしたものの絶望はしなかったので(これってキュゥべえ的にはかなりイレギュラーなことだと思うのですが)、願いが呪いを生んだり絶望に繋がったりすることがないんですよね。当然マミさん以上に精神面も強いことから、恐らくどんな世界線だったとしても杏子の魔女化だけはあり得ないのかなあと思うのです。

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