SHIROBAKOの宮森あおいから観る、水島努監督作品の主人公視点と描き方の特徴

 SHIROBAKOに関連してフォロワーさんがこんなツイートをしていたのがふと気になりました。


 SHIROBAKO作中で出てくる木下誠一監督のことなんですが、かつて『裸の催眠術師』(「鋼の錬金術師」のことと思われる)などの原作ものの大作を手がけた実績のある監督(ただし初のオリジナルアニメ『ぷるんぷるん天国』が大コケして干された)、というのもわかるし、「ぷるキュー」というスラングが生まれてしまうほどのやらかし回を担当したにも関わらずまた木下監督と仕事をしている演出の山田さんをはじめ、『えくそだすっ!』スタッフのみんなも何だかんだで木下監督を悪くは言っていません。そのことからも木下監督の手腕は実は凄いんだ、というのは伝わってきます。が、確かにどう凄いんだ、ということは描かれていないと思います。
 ただ個人的には水島努監督作品だし割とこういうことってあるよね、っていう感じで観ています。と言うのも、水島監督のアニメは基本的に主人公の主観で描いているからです。つまりは主人公の宮森あおいは木下監督のことを「凄い」とは思ってないからなんだろうと思っています。
 というわけで、水島監督の他のアニメと比較しながら、宮森あおいが主人公としてどう描かれ、それをどうアニメで表現しているのかを観ていきたいと思います。

  • Anotherの榊原恒一の場合

 2012年に放送されたSHIROBAKOと同じくP.A.WORKS水島努監督で作られた、綾辻行人さんが原作の「Another」でしたが、原作があるにも関わらずアニメでの主人公である榊原恒一の描かれ方が特徴的でした。
 水島監督の他のアニメと同様なんですが、主人公目線で観た絵でかつ主人公の主観で描かれる傾向が他の作品よりも強く出た内容になっていたかと思います。徐々にいない者扱いされていくところとか、例えば視点は主人公である恒一視点にほぼ固定されているあたりだとかがすごく特徴的だったかと思います。その中でも一番特徴的だったのが、恒一の叔母である怜子の描かれ方でした。



「Another」公式ホームページのCharacterより。

 この怜子と三神は同一人物で、家にいるときには怜子として、学校では三神先生として登場するキャラクターなわけです。放送当時、「同一人物なのに骨格から違うのはおかしいだろ」とかってツッコミも受けていたのを見かけましたが、確かにそうだと思いつつも違う狙いがあったのではないかと考えていました。それが、「恒一の見た目」です。
 恒一の主観で話が進んでいくAnotherですが、その中には榊原恒一というキャラクターのフィルターを通して描かれた世界であるだとか、本当に榊原恒一の目からはそう見える世界が描かれているのではないか、という気がしてきました。つまりは、恒一の目から観ると、家にいる怜子さんと学校で見る三神先生というのが体型から違って映っているのを表現したかった、のかと考えたからです。家にいる時の怜子は、よく酒飲んでましたし仕事から解放されて緩い雰囲気にもなってましたし、かなり無防備なイメージで描かれていたと思います。が、学校で見かける三神先生となると真逆で、隙もなく真面目で誠実な先生のように描かれていましたが、恒一の目からそう見えていたことも含めて描かれていたのではないか、というのが個人的な見解です。まあ同一人物であることがバレバレなキャラデザだとちょっと勿体無いキャラクターであるし、話の上で面白みに欠けるようなところもあるのだろうとは思いますが、恒一のフィルタを通した決して写実的ではない描かれ方をしていたから、という理由のほうが面白く映ります。ここが水島監督の狙いなのかどうかはわかりませんが、いかにも主人公の主観とか主人公が目で観ている光景をアニメで描いていることが多い監督らしい部分だと思います。


怜子が飲んでいるのはビールとトマトジュースのカクテルであるレッドアイ。作り方まで詳細に描かれてました。Anotherで観て知りましたが美味しいですよね。ま、死者である怜子が赤い液体飲んでるって暗喩でもあるんですが……。

 ではSHIROBAKOの宮森あおいではどうでしょうか? Anotherの恒一と同じく基本的にはあおいが観た世界が描かれていると思います。どこが特徴的かと言えば、アニメで描かれているシーンの大半がアニメ業界や制作会社内で制作進行である彼女が観れる部分になっているところです。もちろん、アニメーターの絵麻が観ている世界だとか声優のずかちゃんが観ている世界も描かれていますが、基本的にはあおいの立場から見える部分で構成されているのがここまでのSHIROBAKOだと思います。
 その中でも言及しておきたいのが、彼女が「凄い!」となっているのは基本的にはアニメーターさんくらいなんだ、ということです。ここは絵が描けない人間から観た絵描きさんって「凄い」って普通なると思いますから、絵麻に対しての「凄い」ってそういう認識なんだろうという感じで7話での絵麻の落ち込みがひどくなったんだろうと思いました。

 そんなあおいの中でも瀬川さんとかゴスロリ様とか、あと何話か忘れましたが上がってきた原画をパラパラと観ててにやけてた場面がありましたが、凄いアニメーターさんの凄い仕事ぶりには違った「凄い」を感じているように描かれていると思います。
 話を最初の引用したツイートの件に戻しましょう。そうです、木下監督はあおいの中では「凄い」となっていないと思うんですよね。絵コンテは遅れるわ仕事そっちのけ(ってわけでもないけど)唐揚げ食うわ、思いつきで作画差し替えるとか言うわでとにかく良いところがないように見えているのだと思います。もっと言えば、あおい自身は木下監督が凄かった頃に作ったアニメを観ていない可能性も高いと思います。木下監督のモデルとなっている水島精二監督の代表作である「鋼の錬金術師」は2003年のアニメですが、アニメの設定では20歳のあおいからすれば9歳の頃のアニメです。7年元請けがなかったムサニと合わせてもあおい自身が触れたことのないアニメを作っていたおっちゃん、くらいの認識なのかもしれません。だからこそ木下監督をあおいがリスペクトする様子が描かれませんし、木下監督自身の才能が描かれてないことにも繋がってくれるのだろうと考えています。
 そういえば、あおいの制作進行の先輩への「凄い」も描いていないように感じます。タローはともかく、矢野と落合は仕事出来る制作進行ですし「凄い」と思ってる部分もあるはずですが、凄いと思っている間にも自身の制作の仕事を前に進めないといけない=仕事に忙殺されているような感じなのかなとも思います。
 ただそうなるともう1つの問題が出てきます。それは「あおい自身の目標(やりたいこと)がない」ことについてです。絵麻にはなにわアニメーションの堀内さんという大目標や社内のゴスロリ様や井口さんみたいな凄腕アニメーターさんがいますが、あおいには目指すべき目標が思い描けていませんからリスペクトする対象が具体的には存在しない、ということでもあるかと思います。SHIROBAKOは基本的にあおい主観で描かれた物語です。なので、あおいの目標やリスペクトする対象が木下監督になるようなことがあれば、彼女の目標が監督になっているのだろうとも思いましたし、それがナベPあたりになっていればプロデューサーを目指すことになるのではないかと思いましたし、SHIROBAKOでの登場キャラクター達の描かれ方も変わってくるのではないかとも思いました。

Another コンプリートBlu-ray BOX

Another コンプリートBlu-ray BOX