SHIROBAKOのミムジーとロジーの人形劇は本当に不要なのか?

 先日複数のフォロワーさんが「あの人形劇って要らないよね。意味ないよね」と言っているのを観ていました。確かに、主人公である宮森あおいのモノローグの替わりに入れているようにも見えますし、特にここで何か新しい何かが提示されるわけでもないのでその意味では不要と言えるかもしれません。ただSHIROBAKOを観ていたらお分かりの通りですが、常に密度の濃い1話を作る水島努監督作品の中でもここまで濃い1話1話になっているのはたぶん今回が1番なのではないかと思います。2クールこの密度で走るのか……とも思いますが、やりたいことや描きたいことをとにかく詰め込んでいる印象もありむしろカットされたエピソードも結構あるんじゃないかと考えてしまいます。何が言いたいかというと、あの人形劇は尺もキツキツな中でも敢えて入れているものだということだと思うわけです。本編の流れを切りかねないとも思うわけですが、何故わざわざ人形劇やってるのかを考えてみました。

  • 宮森あおいの幼児性

 お姉ちゃんが来訪した際に「あんたまだ持ってるのー」と言っていたように、地元時代から、それも幼少期から持っている人形なんだろうと思います。人形遊びは女の子が一度は通る道という感じで、姉妹でもありますしそれで遊んでいたのだろうと思います。それがあおいの場合はずっと手放せず、成人した今でも持ちだしてしまうのかなと思いました。
 幸いムサニはアニメ制作会社でフィギュアを机に置いてるキャラもたくさんいますから、ああいう人形を飾っていても変に思われないのもあるのかもしれません。

  • 自分自身の中で対案を出し問題を整理する(あるいは解決へと導く)儀式

 個人的には、何か問題が発生したり立ち止まって考えないといけないような問題に直面した時に彼女が行う儀式的なもの、なのかと思います。物事ってスムーズに行くことのほうが少ないわけで、その問題に正面からぶつかっていくのか、交わしながら対処するのか、などいくつか選択肢が生まれることがあると思います。彼女はそれをする際にこういう儀式をして、自分を納得させて(出来ないこともある)前へ進む癖がある、ということなんだろうと思います。
 もう1つの考えとして、ここは何も考えず前進すべき場面ではない時に、もう1人の自分に対案を出してもらうルーチンをしていると考えることも出来そうです。どんな場面でも正解を出せる人間なんてほとんどおらず、何も考えずに歩いていていきなり落とし穴にハマることもあるでしょう。そうではなく要は石橋を叩いて渡ることに該当するのだろうと観ていますし、宮森あおいというキャラはそういうキャラだということを示しているのかもしれません。
 これって、アニメ制作でも重要なことなんじゃないかと思うわけです。決定が遅くなり優柔不断な面にも繋がってしまいますが、序盤で躓いていたのに気づかず終盤に差し掛かって、後戻りできない段階で気づいてしまって手遅れ、なんてことは防げる人間ってのを示しているのかもしれません。最終的には自身で決断していることもありますし、監督向きの資質とも言えるかもしれません。

  • 他人に相談しない悪癖

 あおいの相反する性格だと言えるのかもしれません。作中であおいが誰かに自分の悩み事を積極的に相談しているシーンはこれまで無かったと思います。えくそだすっ!4話でおかしくなりかけた時に制作の先輩である矢野エリカが見かねて声をかけたことはありましたが、あおいがなまじ仕事が出来るだけに誰かに相談するということをせずに乗り越えられているように思います。なので人形遊びで人形たちと対案みたいなものをぶつけ合ってそれで自己解決しちゃうのだろうと思いました。
 しかしながら、誰かに気軽に相談できるってのも能力の1つだろうと思うのですよね。自分から相談しているわけじゃないのでアレですが、木下監督は割と誰かに助けてもらっていたり(ただし絵コンテは自分で全部やってた)助けを乞うことを恥とは思ってないようなところがあると思います。自分の判断が正しいかどうか、客観的にわからなければ誰か第三者の判断を仰ぐことも悪いことでは無いでしょう。要はあおいには、監督としては向いている部分もあるけど、一方ではあまり向いて無さそうな部分も持っていて、それが人形たちとの会話で何とかしてしまう癖に表れているのかなあと思いました。

  • ムサニの誰かのルーツになるキャラ=ミムジー&ロジー

 結局、この人形って何なのかが全く描かれてませんよね。幼少期にやってたアニメのキャラクターかもしれませんし、どちらもが同じアニメに出ていたキャラなのかどうかすらはっきりしませんが、かなり古いアニメのキャラクターの人形なんだろうと思います。
 そういえばムサニってかつては動物アニメが得意で、杉江さんあたりが活躍していた頃はかなりメジャーなアニメを作っていたという設定のようです。あおいが持ってる人形の片方はツキノワグマ風のキャラで、これが出ていたアニメをムサニで杉江さんたちが作っていたのかもしれません。
 また眼帯のほうの人形は……眼帯キャラといえばAnotherの見崎鳴を思い出してしまいますが、ちょっとゴスロリっぽい衣装を着ていてどちらかと言えばゴスロリ様を思い出してしまいます。ゴスロリ様こと小笠原綸子はんは井口さんが新人時代から既にゴスロリ様として完成していたわけで、新人時代からゴスロリ様だったとはとても思えないので何処かでそうなったのだろうと推測しているのですが、ゴスロリ衣装に目覚めるキッカケとなったアニメがあったりして、そしてそれがこの人形のルーツと被っているのだとすると……結構アツい展開だと思うのですがどうでしょうか。

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 というわけで個人的にはあの人形劇は必須だと思ってます。宮森あおいというキャラクターの輪郭を描く意味でも相当重要な位置づけになっているようにも思いますし、視聴者が置いてけぼりにならないように立ち止まってそのシーンの意味を再確認する場として描かれているのが一番大きな理由なんでしょうけども。
 こういう部分もちゃんとキャラクターの印象付けに使われてるのが、SHIROBAKOが面白い理由になってるんだろうなと思うわけですがどうでしょうか。