さくらむすび 考察3

 昨日の続きです。

 世津子と亮一(金山家と桐山家)の間、主人公と可憐の間に「被差別部落」と言う「化け物」「見えない壁」が存在するところまで書きました。では、何故「桐山家」であるはずの主人公にも、そうしたものが付きまとうんでしょう? それは、1つは血筋、もう1つは育った場所、が横たわっているからです。
 1つ目の「血筋」は、もちろん「金山家」の娘である世津子から生まれた、と言うことです。この被差別部落の問題が長く続いている原因でもあるのが「婚姻差別」です。別に世津子と亮一は結婚してはいませんが、おそらくそれを意識した関係であったはずです。しかも今から20年以上前の話なわけですから、「できちゃった婚」っていうわけにもいかなかったはずで、2人が真剣に交際していた(亮一が遊びで世津子を抱いたとは考えにくい)と思います。しかし、それが出来なかったのは、亮一が楓と許婚の関係であったこと、それとこの婚姻差別の問題があると思います。
 さきほど「金山家と桐山家」という書き方をしましたが、昔の結婚と言うのは、こうやって両家の名字のみが会場に書かれていました(今もそういうところありますが)。要は、結婚する当事者2人と言う個人はどうでも良く、それよりも結婚する家と家同士が親戚になる、と言う意味合いが強かったわけです。つまり、そうした部落出身の家が、自分の家と親戚になると言うことは、結婚する当事者だけではなく、親戚中皆に影響することだったのです。だからこそ、当事者間では障壁とはならなくても、親戚一同がこぞって反対し、当事者の気持ちは二の次三の次になるわけです。
 推測ですが、おそらくこれらの問題から世津子と亮一は引き離され、亮一は親戚らの反対に屈して楓と結婚したものと思われます。それでも時折世津子を抱きに来たって言うことは、高校を卒業して(さくらむすびを手に入れて)、一人前の大人として、自分の意志で多少の自由をもって行動できたから、では無いでしょうか? で、高校に留まったままの世津子には、そうした自由は与えられず、ただ会いに来てくれることを待つしかなかった…と。
 子どもを取り上げられ(おそらく桐山家の意思でしょうが、理由は不明)、亮一が来る頻度も減り、自らに対する無力感も手伝って世津子は自殺しますが、おそらく世津子が目指した世界は、こうした「見えない壁」「化け物」の存在しない世界、だったんでしょうね。桜の花びらが、壁も化け物を消し去ってしまう、そんな世界。2人以外は誰もいない(自分たちのことを知らない)そんな世界を。

 では、これらがどう、主人公たちの代に繋がっているんでしょうか? その辺はまた明日以降に。長いですね…。