シンフォニック=レイン プレイ日記11 al fine編スタート

 ようやく、「トルタ・コーデル会談(自称w)」が終わったところですw
 僕が疑問として書いたことは昨日のブログにもあるんですが、一番気になっていたのは「雨」のことです。当然、雨ばかり降り続いていることが気になることだったりするんですが、「シンフォニック=レイン」とタイトルにもなっていることも、実は気になってました。これまでの3つのシナリオからは、演出としてもこれだけ「雨」を多用する意味がわかりませんでしたから。…しかし、計算ずくだったみたいですね(^-^;
 それに、トルタの不可解な行動も…。

 トルタとアルの不審?な行動については、しっかり説明がされていますね。アルがナターレに来た2年は料理しなかったことや、3年目にようやく自作のパンを持ってきたりだとか…。

 しかしながら、一番「やっぱり…」って思ったのが、主人公であるクリスのフォルテールの魅力についてですかね。
 ファルの時には、完全に「悲しみ」や「迷い」が、クリスのフォルテールの音を引き立てていて、ファル自身もそれがわかっていて、卒業演奏前にアーシノとのことをバラしたりしたっぽいですよね。その後、クリスの町に帰ってアルを観に行こうと言ったのも、クリスのフォルテールには「悲しみ」が欠かせないから、現実を見せに行った、と言う可能性もあるわけですね。それで、悲しみを再認識させた、と言う側面もあるでしょうが、それ以上に自分への愛情を糧に音を変えようとした、と言う可能性もありそうです。
 逆にリセの時には、リセとの幸せを心から願い、フォルテールの音を上げていったと言う事でしょう。
 反面トルタの時には、あまりトルタに溺れてしまうと魅力を感じなくなり、逆にアルのことを思い出させることで悲しみと言う魅力を増大させてしまっているように思います。
 クリスのフォルテールの音については、ファルやアーシノは最初からわかっているみたいでしたし、コーデル先生もお見通しって感じですしねw

 ゲームでこう描かれているから、ではありませんが、現実の音楽家を含めた芸術家って、精神状態が不安定な人が多いですよね。音楽で言えば、尾崎豊Coccoなんかがそうですかね。前者は謎の死を遂げてますし、後者は明確に後向きな歌が増えていき、最後には活動休止になってしまいました。あまりに感情を込めすぎると、人間として破たんしてしまうと思うんです。

 ヤバイですね、これは。完全に。ウラのウラを取られた気分ですし、ファルシナリオ終盤の展開以上の衝撃を、初っ端に受けてしまいました…。

 と言うか、トルタ。
 双子が時折入れ替わっているのかなあ?と思ってはいたんですが、まさか一人二役とは…。それでいて、トルタのときは恋心を隠しつづけていて、アルのときにはそれを隠せないでいるものの、抱きしめられたり、キスをされたりは決してされていない…ってのは、ちょっと…。

 もう、この段階で凄い作品だとわかります。
 それに、コーデル先生はもの凄い良い先生ですよね。あるいは、彼女もクリスのフォルテールに魅せられた一人なのかもしれませんが…。

 そう言えば、何となく、フォーニはアルっぽいんですがどうなんでしょう(^-^;

 ではまた後ほど。