智代アフター 考察その1〜この作品の位置付け

 この作品の位置付けについて考えてみましょう。
 もちろん、この作品は「CLANNAD」という作品の、1キャラ(シナリオ)の後日談的な位置付けです。…が、そう考えるには非常に重たい内容になっていますよね? ですから、二次創作的に、「智代シナリオの後にはこういうエピソードもアリなんじゃないか?」的な内容では無かったかと思います。要は、これが智代シナリオの後日談としての正解、では無く、1つの可能性?を描いたに過ぎない、ってことです。

 もう1つ感じたことがあります。それは、CLANNAD本編のAfter Storyとの比較です。本編のほうは、どちらかと言えば「誰かと共に生きていく」「人は1人では生きていけない」と言うことが描かれていたように思うのです。もちろん、その相手は渚なんですが、古河夫妻であったり、芳野さんや公子さん、春原とかもその対象です。
 ただ智代アフターでは、途中まではそう描かれていました。朋也は、思えばほとんど河南子に助けられていたような…。PC使いの鷹文にも助けられていたフシはありましたが…。ただ、最終的には、智代が1人で生きていけるような強さを得る、そんなシナリオになっていたかと思います。
 しっかし解せないですね。村での最後は、そういう終わり方ではありませんでした。とりあえず智代は朋也の思いを何とか汲みいれ、ともとの決別にやっと顔を現しますが、智代1人で乗り越えたと言うよりは、周りが準備した土台の上で何とかクリアした、って感じがしましたので…。
 その後のエピソードで、3年掛かってようやく、智代が1人で朋也の面倒を見ることになって、1人で乗り越えていく、って言う風に描いていますが、ちょっと強引な展開にも見えますよね。

 ちなみに、エンディング曲の「Life is like a Melody」の歌詞を見れば、最後に智代が辿り着いた答えがわかると思います。
 そして、CLANNAD本編のエンディング曲「小さなてのひら」と比べて見ると…。もちろん、前者は智代の視点、後者は汐(と共にあった人格)の視点って言う違いはありますけどね。

 何かあれば、答えられる範囲で答えていくので、考察に関する質問があれば、どしどしお寄せくださいw