お葬式。

 お久しぶりです(?)。お葬式から帰ってきました。
 しかし、お葬式ってのは寂しいものですね。おじいさんは、85歳と高齢だったのはあるんですが、1週間くらい入院したら退院できそうだ、みたいな状態だったらしいので(僕も確かそう聞いていたので、話を聞いたときには「えっ?!」って感じではありましたが)、突然は突然だったのですが、呼吸器は元々弱かったですし、年齢的にも仕方の無いところではありました。が、それでも喪失感みたいなものはありましたし、他の家族や田舎の家族の悲しむ姿を見ていると、その死はやはり予期せぬものだったんだろうなあ、と思いました。
 それでも、おじいさんは、おばあさんが病院に見舞いに行った直後に亡くなったようでしたし、うちの母親(実の娘)が帰郷したのも1,2週間前で、ちゃんと近しい人間とは顔を合わせていたんですよね。巡り合わせではありますが、ちゃんと別れは済ませられていたのかな?と思いました。
 そういや、父方のおじいさんが亡くなったときも、1ヶ月前に帰郷して、おじいさんとハサミ将棋を楽しんだんですよ(僕は惨敗しましたが…。ってくらいに、そっちのおじいさんもピンピンしていた)。ただ、今回の場合は、僕は全然会いに行ってなかったんですよね…。それが心残りではあります。お世話になっていた人だったので。
 しかしまあ、悲しいものとはいえ、親族はほとんどが集まりましたし、村の人たちも来てくれて、規模は小さいながら良いお葬式だったんじゃないかと思いました(どの人が親族で友人なのかは一部わかりませんでしたけど…)。それで思ったんですが、こういう、言い方はおかしいですが「幸せなお葬式」で送られた故人は幸せだと思いますし、こういうお葬式に参列できたってのは、ある意味で喜ばしいことだと思っています。が、人間そんな死に方が出来るばっかりでは無いわけです。
 例えば、親族や友人がほとんどいない人だったら? 仮設住宅などで頻発した「孤独死」した場合は、葬式もどんなに寂しいことか。故人のことをほとんど知らない人ばかりでも、葬式はあげてくれるかもしれませんが…。
 他にも、交通事故や殺人、過労死などで亡くなった人なんかだと…。お葬式も、今回だったら「新たな世界への旅立ち」みたいな趣もあると思うんです。が、そんな気持ちの切り替えなんて出来るわけもありませんよね。酷い悲しみのみが支配するようなものになるんでしょう。
 そんな葬式には、出来れば参列したくないですね。それに、そんな式の喪主なんて務めるなんてことも絶対にやりたくないです…。僕は結婚しているわけではありませんが、自分の子の葬式なんて絶対にやりたくないでしょうし、子が親より先に死ぬなんて場合は、そういう式になるんでしょう…。
 
 ご冥福をお祈りします。
 
 関係ないですが、その田舎で会ったいとこの子どもたち(9〜1歳の4人)は可愛かったですよw