名手岡部、引退
遂に、JRAの岡部幸雄騎手が引退しました。
会見を見ていると、全く涙は無く、むしろ晴れ晴れした表情をしていたのを見て、よほど騎手生活の最後は苦しかったのだろうなあ、と言う気にさせてくれました。
競馬歴わずか7年程度の僕が語るには、あまりにも岡部騎手は偉大すぎるわけですが、岡部騎手が逃げ馬に乗る=逃げるときの騎乗は、ペースが速すぎず遅すぎず、後続になし崩し的に脚を使わせる騎乗で、これぞ競馬!と言うものを見せてくれました。
一番最近では、昨年秋の東京開催で、ティーリーフに乗って逃げ切った500万クラスのレースです。大逃げを打ちましたが、馬のスピードを大いに生かした騎乗で後続に影さえ踏ませない圧勝劇を演じました。このレースは見ていて痺れましたね。
そんな僕は、昨年冬の岡部騎手の復帰を見て、大いに心を動かされました。
2年ほど前に、とある事情で会社を辞めた後、非常に無気力になった僕は、しばらくほとんど何もせず、週末になると競馬に出かけるという生活をしていました。
また働かないと、と思う一方で、なかなか身体はそっちの方向に向いて行かない状態が続きました。
そんな時に見たのが、岡部騎手の復帰でした。
岡部騎手は、2002年いっぱいの騎乗を終えると、長期休養に入りました。
もう一度身体を見つめなおす、という感じだったとは思いますが、思うように身体が動いて行かない自分に対するもどかしさみたいなものがあったのだと思います。
そこから、2003年の秋頃にはいったん美浦トレセンに戻り、調教などへの騎乗を再開したところまで行き「復帰間近」と呼ばれました。
しかし、そんな矢先に調教で骨折し、復帰は先送りになってしまいました。
既にこのときで54〜55歳。このまま引退かと思いました。
が、そんな岡部騎手は2004年2月に復帰を果たしました。
そして若竹賞。のちの桜花賞馬ダンスインザムードに騎乗して、復帰後初勝利を果たします。
その管理調教師である藤沢和雄師の粋なはからいでした。
復帰後初勝利のインタビューで、その55歳の名騎手が泣いたのです。
あれには思わずもらい泣きしたのと同時に、
「55歳のおじさんがやれたことを、何で自分がやれないのだ?!」
と思いました。
それから1ヵ月後には、僕もアルバイトという形ながら再び仕事をすることが出来ました。
そういう意味では、大いに勇気付けられたといえます。
だからこそ「寂しい」のです。
ただ、やはり月並みでも「お疲れさま」と言いたいですね。
引退記念レースも行われるとのことですが、最後にもう一度、競馬に乗って欲しかったです。
その時は、記念馬券をこれでもかっ、ってくらいに買いたかったので…。