死刑は拡大適用すべきか?

 広島の、木下あいりちゃん殺害事件で、検察はホセマヌエル・トレス・ヤギ被告に死刑を求刑しました。判決は7月上旬に出るようです。この事件は、単なる殺害ではなく、被害者に対して性的暴行を加えた上での殺害、と言う側面がありますし、被告の出身国での犯罪歴などもあり(実証できず)、死刑が求刑されたようです。

 最近の凶悪事件の裁判を見ていると、死刑にする対象を増やすべきか否かで議論になっていることが多いです。
 元々日本で「死刑」を判決が下りるパターンはいくつかあって、
・殺人が再犯
・初犯でも複数の人を殺害
 と言うのが日本における「死刑」判決の線引きでした。もちろん、2人以上殺しても、殺人の再犯をしても死刑にならなかった被告は多いことから、「事件の凶悪性」「計画性の有無(衝動的では無かったかどうか?)」「精神状態」「殺害の動機」などの要素が加味されて判決を下すので、これらも要素の一つです。
 ただ、曖昧ですよね。

 諸外国では、実は死刑廃止の動きが強まりつつあります。恐らくは「人が人の命を合法的に奪うことは許されない」と言うこと(じゃあ戦争はどうなんだ? と言いたいですが)からなんでしょうが、日本には無い刑があるからこそ出来るってことでもあります。それは終身刑です。つまり、刑務所にぶち込まれると、一生そこで終わらされると言うものです。本当に終身、刑に服しているかはわかりませんが、死刑の替わりとして定められているわけです。
 日本にも「無期懲役」という刑がありますが、あれは「無期」では無く「不定期」という意味で、終身懲役を課せられるわけではありません。詳しくは忘れましたが、確か10〜20年で出てこられる刑と聞いています。これは、天皇家か何かの節目に、恩赦と言う形で刑を減刑されるから、と聞いたことがありますので、恐らく量刑(懲役10年とか20年とか)でも減刑されているものと思われます。
 では何故、日本では「終身刑」が出来ないのか? あまり議論されていませんが、これには理由があるんですよね。それは「刑務所がどこも定員オーバー」と言う理由が。
 日本の刑務所はどこも犯罪者で溢れていて、刑務所内の環境は悪化する一方です。刑務所内で、刑務官や受刑囚による受刑囚への暴行や不適切行為なども横行しているのですが、定員オーバーで刑務官に限界が来ていることは明らかです。刑務所を増やそうと言う動きもあるのですが、設置予定場所の地元の反対で暗礁に乗り上げる…で、新規設置は全く進んでいないのが実情です。そして、警察の検挙率が下がるくらいの犯罪の多発。ここで終身刑を導入してしまえば、刑務所がパンクしてしまうのは明らか。ただでさえ、刑務所から出所した人間が再び犯罪を犯すように、更生プログラムも上手く行かない例が多いことが多いことから、終身刑導入には、もっと政府が議論し、マスコミが取り上げて国民的な議論をしなければ、「死刑か懲役10年か」くらいの極端な判決が今後も増えることになります。国民的な議論と言うのは、刑務所の新設=再犯防止の効果あり、と言う意識を国民に植え付け、理解を深めることが必要だからです。

 ただ個人的には、殺人者には原則「死刑」が適当かと思ってます。人の命を奪う正当な理由なんてあり得ません。自分の命を差し出しても足りないくらいです。
 例えば「無理心中」。このケースで生き残った場合は、情状酌量の余地あり、と言うことで非常に減刑されるわけです。が、自らの手で殺したことには変わりないわけです。もしかすると、殺した人間の身勝手な動機で、家族が殺された可能性だってあるわけです。人が人の命を奪っていい、何て理由はあるわけありません。殺されなければ、まだ未来への可能性はあったわけですから。
 殺害理由が、殺人者の身勝手極まりないものだったら、個人的には即死刑、で良いと思ってます。もちろん、殺人者の汚い命1つ消したところで、殺された被害者が浮かばれるわけは無いのですが、そんな人間が生きていく資格なんてあるわけありません。
 死んだら終わりなのです。死の恐怖ってのは、死を意識した人間しかわからないんだと思いますが、すべてが無になる恐怖を少しでも感じれば、誰もが恐怖するものだと思ってます。
 考えてみてください。死ねば、色んな思考や妄想なんかは終わるんです。しかも、それを他人の手でされるんですから、恐怖は相当なものです。特に、強い者が弱い者を殺すケースに関しては、どうしようも無いわけです。

 光市母子殺害事件で、当時18歳だった被告には、事実上の死刑判決が出ました。母は強姦の上殺害され、1歳にも満たない娘も殺害される、かなり凄惨な殺人事件でした。この事件の場合、被告が18歳だったことが、「若いので更生の余地あり」として、情状酌量される可能性があるか否かを争ったわけですが、死刑で当然だと思います。
 更生の余地はあるかどうかわかりませんが、性犯罪の場合、再犯率は極めて高いのです。しかもその結果として、相手だけでなく、その娘も殺しているわけで、その残忍さからは再犯の可能性は極めて高いと言わざるを得ません。若いからと言って、今の刑務所では、更生が上手く行くとは思えないからです。

 大阪の姉妹殺害事件もそうです。少年時代に、母親を殺して少年院に入り、とりあえず更生プログラムを終了させて娑婆に戻ってきたわけですが、結局人を殺すことに快感を覚えてしまっていて、性的欲求を満たすために再度殺した、と言うことで、死刑以外には考えられませんよね。

 木下あいりちゃん殺人事件も同様です。ヤギ被告は、本国ペルーでも性犯罪を繰り返しており、更生しないのは明らかです。今回でも、あいりちゃんへの性的暴行を加えた後に殺害しており、その凶悪性は、例え本国での前歴を除いても、死刑で償うしかありえないと思います。
 僕が言いたいのは、例え1人の命を奪ったと言っても、それに釣り合う刑なんて、死以外にありえないんじゃないかって言うことです。奈良の事件もそうです。生きて一生傷を負って生きていく、と言うのも、あいりちゃんの父の言う通り「その時点で1度殺されたようなもの」とも言えます。が、生きていれば、まだ可能性が残されているわけです。死ねば可能性も何もありません。そして、そういう「死」を、他人の手で与えて良いはずは決して無いわけです。

 ってことで、死刑は亡くすべきではありませんし、さらに拡大適用すべきだと思います。殺人は特別だと言う風潮を、もっと植え付けなければならないと思うわけです。