虐待死事件、厳罰化なるか?

 京都府長岡京市で起きた、自分の子どもを部屋に軟禁し餓死させた事件。長女が虐待の疑いで保護された後に、死んだ弟への虐待がエスカレートしたとありました。もしこの時点で踏み込んでおけば、弟の命も助かっていたかもしれないと言うことで、やりきれない思いがありました。
 ただ思うのは、これだけの冷酷非道な仕打ちをした親(義理も含む)に対し、適用される罪は一体どんなものでしょうか?
 この事件での逮捕容疑は「保護責任者遺棄致死」です。この容疑での罪は「死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。」とあります。つまりは、傷害致死と同じくらいと言うことですね。あくまで、殺人罪ではありません。
 ただ、この長岡京での餓死させた事件では、子どもに対して、部屋に外から鍵をかけて軟禁した上、食事を与えていなかったわけです。
 が、餓死させるくらいに食べ物を与えていなかったわけで、おそらくは数日以上は食べされていなかったのでしょう。そうすれば、未必の故意による殺害の意図があった、とはならないでしょうか? それだけ長い日数、食べなければ死ぬ、と言うことくらいはわかったはずです。そうでないと、こんな異常な事件は起きません。それに、元々その子への愛情は殆ど無く、「死んでも良いや」「いっそ死んでくれれば」とか思っていたかもしれません。もちろん、現代人が「何日食べなければ死ぬ」なんてことがわからない可能性はあります。が、保護者が1日でも子の食事を抜くと言う行為自体、既に子への生命の危機を自身で起こしていることを知らしめなければなりません。何せ、子は自分自身の手で食物を手に入れる術を持っていないのですから。この餓死した子の場合、術どころか、軟禁されて何も出来ずに餓死してしまったわけです。これは、人間への殺人行為に他ならないと思います。
 前にも書きましたが、個人的には「無理心中」も、理由はどうあれ厳罰を課すべきだとは思ってます。少なくとも、殺された人にはまだ希望があったかもしれなかったわけですから。それを無理やり命を奪ったのですから、殺人罪が適用されて然るべきだとは思ってます。無理心中の場合、生きているのは、心中を図った本人だけで、殺された人たちの言葉は届いてこないわけですからね。殺した側の身勝手な理由が原因だったのかもしれないわけですから。
 ただ、子どもへの虐待は、普通の人間への傷害や殺人行為に匹敵するか、それ以上の苦痛を被害者に与えていると思うのです。しかも最近、それらが表面化して事件になるケースが非常に増えています。本来保護されるべき保護者からの暴行を受けているわけです。相談する人や逃げる場所もありません。より悪質と考えるべきだと思います。
 この長岡京の、虐待での餓死事件は、何とか厳罰化を望みたいと思います。でないと、エスカレートするばかりの我が子(連れ子の方が多いか?)への虐待事件の抑止力には繋がらないと思います。是非検察は、殺人罪などでの立件も視野に入れてもらいたいです。長女への虐待という「前科」もあるわけで、この父母(片方は内縁でしたか)に子を生み育てる権利など無いと言うことを、裁判所も判断してもらいたいところです。
 これ以上、こんな悲劇を繰り返してもらいたくないですからね…。餓死なんて、人間…いや、動物が死ぬ上で、一番原始的で悲惨な死に方ですよ。