魔法少女にとっての「正義」を問いかけた『魔法少女まどか★マギカ 5話』

 5話観ました。だんだんとインパクト自体は薄れてきたのですが、よく考えると無茶苦茶なこと言ってるんですよね、ほむらと杏子は特に。
 執拗にまどかの魔法少女勧誘を続けるキュゥべえはともかくとして、今回の見所である「魔法少女同士がバトった」シーンはなかなか緊張感がありましたね。次回にも続くんでしょうけど、3話のせいで「何処かで不意に殺されてしまうんじゃないか?」という緊迫感がより目を離せなくしてくれます。
 そこで感じたのが、そもそも魔法少女そのものが非常にネガティブなものとして描かれている、のはこれまでもそうでしたし、ほむらのセリフからも分かるとおりなんですが、今回の話で提示していたものは、「魔法少女同士が味方とは限らない」という部分では無かったでしょうか。
 プリキュアなどでは、プリキュア同士が戦うことはまずありませんよね。先日終わったハートキャッチプリキュアでは、ダークプリキュアなる敵が作ったプリキュアがいましたが、彼女は変身しないので除外しておきましょうか。洗脳されたりしてない限り、彼女たちが同士討ちすることは考えられません。まどか★マギカでは、まずはそこのタブーを破った感があります。
 更に、「魔女」という魔法少女にとって共通の敵がいながら、魔法少女同士が共闘しないというところも面白いのかもしれません。一緒に倒せばいいじゃないか、と当然思うんですが、それをしないという試みも見受けられます。これは、魔女を倒したときに得られるグリーフシードの存在と、それを使えば回復するソウルジェムの存在が、魔法少女同士が戦うこともあるという状況を生み出していると思います。
 そこで出てくるのが、彼女たちにとって「正義」とは何なんでしょうか? 死んでしまったマミは、使い魔の段階の魔女でも倒しに行ったりと、見滝原市の平和を守るために代償無く戦っていましたし、その心意気はさやかにも伝わっていました。が、ほむらや杏子は全く違いますよね。
 ほむらにとっての正義は、まどかを魔法少女にさせない、こと意外に何も無いようにも思います。魔女狩りを積極的にはしてませんし、街を守ろうという考えで魔法少女をやってるようには感じません。
 杏子にとっては、グリーフシードを得ることそのものが正義っぽいですよね。そもそもグリーフシードをたくさん手に入れることに何のメリットがあるのかがわからないのですが、他の街ではこの街ほどには魔女が出現しなくて、出現した場合に確実にグリーフシードを得るために、魔女を放置して人間が殺されるのを待つ、のかもしれませんが。グリーフシードでソウルジェムを回復できずに真っ黒になってしまった場合にどうなってしまうのかがまだわかりませんが、そのことが最大の悪で、それを回避することが出来るのであれば、彼女にとってはどんな行為も正義を伴ったものになるのだと思います。
 このように、例え「魔法少女」であっても、それぞれに「正義」は異なることを描きたいんだろうなあ、と思うわけです。本来であればマミやさやかのような、いわゆる「正義感」こそが「正義」とイコールなんでしょうけど、それぞれの本当に大切なものって一緒なばかりじゃないよね、という考えが見て取れるかと思います。
 また、魔法少女として契約する際に、1つの願い事と引き換えにして魔法少女になるわけですが、願い事を叶えて欲しいから魔法少女になるわけであって、別に魔女との戦いに身を捧げるために魔法少女になるわけではない、という魔法少女になる仕組みの問題もあるような気がします。例えば、マミが死んだ時とか、今回のさやかがやられそうになった時の場合だと、戦わなきゃだとか救わなきゃだとか、要は戦うためや力を得るために契約することになるわけですが、マミやさやかはそうではなかったですよね。恐らくは杏子も、魔女狩りをするために魔法少女になったわけでは無いでしょう。他の戦う変身ヒロイン物との大きな違いはそこにあるのかな、と思います。考えてみたら、魔法が使えたら……と考える前に1つ願いが叶うわけですから、魔法少女になることがスタートではなくゴールになってしまっているんですよね。なのでどうしても、魔法少女同士で「正義」の定義が離れてしまい、共闘などの考え方も出来なくなるわけです。
 杏子が5話で言っていた「魔女に何人か人を喰わせたら……グリーフシードが得られる」という仕組みも、魔法少女達がソウルジェムをグリーフシードで定期的に回復してやらないととんでもないことになる、ということと絡んで極悪な仕組みになってしまってますよね。マミやさやかのように、人間が殺されるのを防ぐために使い魔段階から魔女を倒しすぎると、グリーフシードを得られないのに魔力を使ってしまうことになるわけで。何人か殺された段階でようやくグリーフシードが得られるようになるということは、誰かを犠牲にしなければ魔法少女は生きていけないことにもなると思います。
 
 魔法少女達が孤独になってしまうのはその辺があるのかもしれません。誰かを魔女に殺されないと生きていけないということは、それが例えば近しい人間である可能性もありますし、そういう人間を見殺しにする、あるいは見殺しにしたことを恨まれる、などで孤立化してしまうのではないでしょうか? 杏子も孤独っぽいですが、それが事前だったのか事後だったのかはわかりません。ただ、もし元々孤独だったとしても、後から孤独になったとしても、魔法少女がああいう性格になりやすいのはグリーフシードとソウルジェムの関係性との繋がりもあるんだろうと思います。
 なので、杏子は杏子なりの「正義」で戦っているのだと思います。魔法少女にとって、魔女狩りは「使命」や「義務」というよりは、生きていくために必要な「狩猟」という色合いが強いように思います。その「狩猟」を邪魔する者は敵っていう考え方をすると、5話でのさやかが杏子に言った言葉は全否定出来ますし、獲物が育つまでに狩ろうとするさやかの行動は許せないってことになります。それが生きて行くために必要なことなのですからね。もちろん、さやかの「人を守るため」という理由のほうが正当ではあるんですが、そうした「正義」以外にも「正義」が存在するというのが、面白くもあり、今までの戦う変身ヒロインものにはない要素であり、対立して戦わなければならない理由に繋がるというわけです。
 怖いですね、この設定……。本来なら協力し合える関係性なのかもしれませんが、魔女の出現頻度が下がってくると、それこそ獲物の奪い合いが魔法少女の間で起こってしまい、築いていた信頼関係が容易に崩れてしまうという結末もあり得るからです。誰かの自己犠牲があったとしても、それはそれで悲惨な結末しか想像できませんからね。
 6話では、さやかと杏子の間に入ったほむらの行動が注目ですね。仲裁できるような器用さがあるとも思えませんし、ほむらにとってはまどかが魔法少女にさえならなければ後は割とどうでもいいはずなので、仲裁よりも全ての憂いを潰してしまいかねないような怖い想像もしてしまいます。どうなってしまうのでしょうか……。

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