ビジュアルアーツのKey作品における戦略と先見性とは?

 最近のVAには辟易としている管理人です。とは言え、ああいうイベントをやってくれるんだから捨てたものではありませんね。
 ただ、方向性としては「確実に儲ける部分」と「先を見据えて実験的な試みをする部分」とに分かれていると思います。ので、その「先を見据えた」部分を見ていきたいと思います。

 Key自前のライターは都乃河氏のみ、恐らくはメインを田中ロミオ氏、そしてサブに竜騎士07氏を起用しています。これには、「Keyの独自色が消える」とか「外部に丸投げかよ!」とか、僕もそうですし、そう言っている鍵っ子は多いです。
 が、第三者的な目で見れば、これって時代の流れに沿っているんじゃないか?とも思います。と言うのも、徐々にですがライターを自前で抱えているメーカーやブランドが減ってきて、外注さんに頼むところが増えてきてますよね。外注さんを使って仕事量を分散させて、効率よくゲームを作るような時代なのかもしれません。
 それに、現在のギャルゲー市場の衰退と共に増えてきたジャンルがありますよね。ライトノベルです。ライトノベルはさらっと読めるし安いし面白い(ものもあるってことでしょうね)しで、ハルヒのブーム以降も一定の人気を保っているように見えます。そんなライトノベル界での巨匠をライターに招いたわけです。要は、ライトノベルのユーザー層に訴求するための起用なのかなあ?と考えています。ま、ロミオ氏はゲームのライターとしての実績もバツグンですし、スケジュールの遅延とかもそれほど無いだろうとか考えているんだとは思います。
 あとは竜騎士07氏の起用。これは、同人ゲームと言うジャンルのユーザーへの訴求力を求めた結果でしょうね。実際に「ひぐらし」などのユーザーには女子中高生なんかも多くて、男女を問わないし、エロゲユーザー層とも違った層の取り込みを狙ったものともいえると思います。それをどう上手くプロモへと結びつけるかとか、そういう問題に繋がってくるわけですけども。
 外注といえば、リトバスでは音楽でも外注さんを入れました。まあ戸越まごめ氏の退社が影響しているんですが。音楽全体の統一感が失われたのは確かにありますが、逆に今までのKeyサウンドには無かったテイストが取り入れられていましたし、それがゲームともマッチングしていたため、音楽の幅は広がったと言う良い結果にも繋がったように思いました。ま、同じスタッフが10年も作り続けていたら、外部からの刺激も無ければいいものを生み出し続けられなくなるともいえますので、結果としてよかったと思ってます。

 智代アフターではおまけに「D&T」というダンジョンRPGが、リトルバスターズでは無印から野球練習・バトルが、EXでは射撃ゲームがついていて、しかも本編シナリオ途中に入るために「読むだけゲーム」と少し異なる趣を出しているかと思います。まあ面倒だと思う人が多いでしょうけども。
 ただ思うのが、前述のライトノベルとの関連性です。読むだけならライトノベルのほうが色々と都合がいいわけです。ゲームが勝っていると言えば、音楽と絵くらい。絵だって、フルアニメのギャルゲーが少数派なことを考えると、ほとんどは静止画で立ち絵なわけです。それを考えると、何倍もの値段がするギャルゲーが上回っている部分って、値段相応なのかどうかわからないんですよね。それにライトノベルのほうが、同じ作家さんが作品を出すペースが早いことも多いでしょうし。
 なら、ゲームならではのものを入れて差別化を図ろうとしている…のがこの動きのように思います。
 更に言えば、声が入ることでの演出と言うものも為されてますよね。どう考えても、緑川光氏と涼森ちさと氏がいなければリトバスそのものが完成していない気がするあたり、声優さんの技量にシフトした作りになっています。この辺はライトノベルでは出来ないことでしょうから、ゲームならではのものを目指したものだったかと考えられます。
 他方で「キネティックノベル」というものも試みましたが、あれはどうせ「読むだけゲーム」であれば、そこに特化して余計なものをそぎ落として、よりライトノベルに近い価格設定でゲームを供給することを狙ったんじゃないかとも思うわけです。
 本当にそのうち、麻枝さんがやりたい!と言ってるRPG制作に入るんじゃないかとも思ったりしてるんですがw

  • ボリューム至上主義からの離脱…ユーザーライクになってきた?

 智代アフターplanetarianリトルバスターズ!では、CLANNADまでで膨張したシナリオ量を減らす試みが為されました。リトバスはプレイ時間は結構長いですが、ミニゲームの類に時間が掛かるだけで、それらをすべて飛ばして、更に声もなくしたらと考えると、結構なスリム化が図られてるんですよね。
 ギャルゲーの中で一時期、重厚長大路線が当たり前になってしまって、長ければイイと言う状況が生まれつつあったんですが、それを始めたKeyから離脱するってのは、ある意味で路線を大幅に変更すると言う意思の表れの気がします。
 この「重厚長大路線」と言うのは、出来る人が限られてくるんですよ。学生さんとかなら別に長くてもいいと思うんですが、社会人になって1プレイ10時間とかクリアまで60時間とかっていうゲームをやるのは、何かと犠牲に出来ない人には無理です。そして、Keyユーザー層というのも、CLANNADからで現在で5年、Kanonからだと10年が経っています。学生さんって新規以外にはなかなかいないんですよね。つまり、旧来のユーザーにまたプレイしてもらおうと思えば、重厚長大なままの作品を出すってのは、あんまりユーザーのことを考えてないとも言えるわけです。なので、ユーザーライクな姿勢も窺えるってことなんでしょう。
 ただ、リトバスEXでは見事に回帰しちゃってますが。しかしながら「世界の秘密を知っている」という選択肢があったように、本当ならすべて最初からプレイさせるべきなんでしょうが、その選択肢を選べばいきなり追加キャラから攻略できるようなシステムになっていましたので、かなりユーザーライクな作りにはなっていると思います。

 とりあえず思いつくのはこの辺ですね。まあ他レーベルから考えると「先見性」というほどのものはありませんが、次の手を打っていることは理解できるんじゃないかと思います。10年同じ体制でやっているギャルゲーブランドって無いと思いますしね。そろそろ新しいものを取り入れて、そこから化学反応を起こす、なんてことを狙ってるんじゃないかと今は考えています。