ガルパンのお嬢様キャラから観る、ガルパン世界の極端な世界観と、その常識・非常識の線引き

 ガルパン劇場版の円盤がすごく売れているようですね。興行収入の伸びは、色んな上映形態やリピート客の頻度の高さだけではないことを示してくれたように思います。
 さて、ガルパンキャラで個人的に好きで気になっているのが、お嬢様キャラたちです。大洗女子には五十鈴華が、聖グロリアーナ女学院にはダージリンが(聖グロ自体がお嬢様学校という設定でもある)、劇場版で登場した大学選抜チームには島田愛里寿が、それぞれ該当するかと思いますが、日常アニメなら1人くらいしかいないお嬢様キャラがこれだけ居るというのは、キャラクターの多さを差し引いてもかなりのものだと思います。普通は「お嬢様キャラ」という設定だけで個性にもなってしまうので、複数居るというのは各キャラの個性や印象が薄まってしまうのではないか……と懸念してしまいたくなるはずが、ガルパンでのお嬢様キャラの個性や印象は薄まるどころか、劇場版を経て更に際立ったようにも感じます。
 個性的なのはもちろんなのですが、個人的にはそれ以上に、このガルパンという作品の様々なものを示していたり、あるいは映し出す重要なパーツにもなっていると思っています。そんなお嬢様キャラたちがどういう描かれ方をしているのか、自分なりに考えてみたいと思います。

常識/非常識の境界線〜世界観を伝える役目としてのお嬢様キャラ、という視点
 ガルパンの世界観は結構無茶苦茶だと思っていますが(合ってますよね?)、そんな無茶苦茶な世界観の中で、どこまでが普通(常識的)なのかの指標として、それぞれのお嬢様キャラたちを使っているように感じます。

 まず五十鈴華の場合だと、主にテレビシリーズでの常識的なボーダーラインとして描かれていました。大食らいなところ……は、途中からはスタッフが遊びで盛りまくったという話も聴いているのでどうかわかりませんが、ガルパンの、少なくとも大洗女子では、あの華さん盛りに対して誰もツッコミを入れていなかったところを観ると、あれくらい食べる女の子がいるのは変ではない、という世界観だと描いているのかもしれません。大食いのお嬢様キャラといえば、アイマス四条貴音がいますが、何か関係はあるのでしょうか……。
 大食い設定はともかく、名前の通り華道を嗜んでいる、という設定は大きいような気がします。何せ「◯◯道」で戦車道にも繋がるようなことを嗜んでいるキャラなわけですから。そしてそんな華さんは、最初は操縦手を担当してみますが、その後砲撃手に転身すると、見事にサンダース高校のフラッグ車を撃破してみせました。その後も数々の軍功を上げる活躍を見せましたが、どうして華さんが砲撃手として優れているのかという説明は無かったように思います。推測になるのですが、やはり華さんが華道を嗜んでいて、そこで培われてきたものが戦車道の砲撃手のスキル(適性)にも生かされている、ということなのかなあとぼんやりと考えています。集中力なのか、創造力なのか、あるいは……。華道がどうして戦車道に繋がるのか、ほとんど無理やりだしこじつけですが、その道を極める人間は他の道に置いても強い、ということを示しているのかなあと考えたりしています。
 身近にいる、違和感を持たれない程度のチートっぽい存在、それが五十鈴華というキャラクターなのかなあと思っています。

 ダージリンの場合はもっと極端ですよね。実のところ、どんな家の出なのかとかは一切触れられていないどころか、本名すらわからないというのがそもそもすごいと思います。戦車に乗りながら紅茶を飲むことは自然で当たり前のこと……となっていますが、4DXを観に行かれたからならわかると思いますが、あの振動(本当はもっと凄いのでしょう)の中で紅茶を一滴もこぼさずに飲む、とかおかしいにも程があります。そして自身は紅茶を飲みながら指示を出すだけで、操縦などは何もしていません。が、ここについては、車長というものはそういうものらしく、大洗女子の会長である角谷杏が干しいも食ってるのと近いのかもしれません。
 個人的に、ダージリンというか聖グロリアーナで一番気になっているのが、ダージリンが「様」付けで呼ばれていることです。特に、同学年と思われるアッサムが「ダージリン様」と呼んでいることを考えると、チームの隊長に対しての呼び方なのかもしれない……と思うしか無いのでしょうか。ダージリンの気品とか漂わせているオーラとかを考えると、聖グロリアーナ戦車道チームの隊長……というだけではなく、生徒会長を兼任しているとか、あるいは身分そのものが高いのか、と想像してしまいます。積極的に外交をしている姿とかも観ていると、どうにも王家のお姫様っぽい感じもするんですよね。なので「様」付けされているのかなと。同じ高校生が「様」付けされて呼ばれている光景にも、驚くキャラは特にはいないことを考えると、これもまたこの世界においては、あり得ること、ということになるのでしょう。直接関係ないですが、聖グロリアーナ女学院という学校はお嬢様学校らしい、ということは、アッサムやオレンジペコはともかく、ローズヒップもお嬢様、ということになるのですよね……。その中でも、よりダージリンがお嬢様かつトップに立つキャラクターとして描かれているので、お嬢様の中でも色々ある、という世界観としても描いているのでしょうか。
 ちなみに、ダージリンオレンジペコを連れて大洗女子の試合を観戦しにきたり、みほに助太刀しにきたりしているのは、ダージリンがみほのファンだからなのかなあと考えていますがどうでしょうか。

  • 島田愛里寿の場合

 島田愛里寿の場合は、ダージリンとかと違って本名のようですが、13歳でも飛び級で大学に入れる、というあたりは、この世界でも凄いことではあるけれど、あり得ることとして描かれているように感じます。また、13歳の天才少女隊長に、大学生のお姉さんたちが付き従っている姿も面白いですよね。こういうシチュエーションだと、やっかみが入ったり、どこか信用されない部分があったりとかしそうなものですが、全幅の信頼を持って戦っていたと思います。このことから分かるのが、ガルパンの世界はあくまでも実力主義なんだということでしょう。これは他のどのチームでも言えることなのですが、隊長になっているキャラクターは、いずれもその才覚をメンバーに認められて隊長になっている、ということでもあると思います。その一番の極端な例が、大学選抜チームの島田愛里寿なのではないかと考えています。何せ、いきなりボコの歌を歌い出しても、許容するどころか、本気モード全開の合図だと喜んでいるくらいですからね……。お姉さんたちも、その才覚に惚れている証拠なんでしょう。

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 何かもっと色んなことを指摘したかったのですけど、長くなったのでこのくらいで。ただ、お嬢様キャラというキャラ設定を、ガルパンの世界観を構築する上で、あるいは作品そのものの面白さにも関与するという意味では、非常に考えられた使い方をしているように感じています。
 今回挙げなかったキャラクターでも、例えばプラウダ高校のカチューシャとノンナは、他のプラウダ高校のメンバーと違って訛りが無かったりするなど、田舎高校では特別な存在なのかなと思ってしまいますし、知波単学園の西隊長も育ちの良さを感じる部分があります。
 身分差とかがあるわけでもないと思ったりもするわけですが、そういうところにも差異をつけたキャラ設定なのかな、と思うと、よりガルパンが面白く感じられるかもしれないので、注目していきたい部分だと思っています。