男キャラ排除どころか、男キャラが「悪」として描かれているまどか☆マギカ 〜魔法少女まどか☆マギカ考察

 先日ラジオをUstで流していて、そこで相方さんが話していたことを聴いてもの凄く納得した部分があったので文章化しておきます。
 極力、男性や大人という存在を描いていないまどか☆マギカですが、こういう「女の子だけ」が主要キャラクターな作品というのは珍しくありません。「けいおん!!」もそうですし、その源流に位置する「ひだまりスケッチ」や「らき☆すた」、これらの大元となった「あずまんが大王」などがあります。これらの作品では主要キャラに男性キャラが存在せず、主要キャラに絡む男性キャラも極力少ないのが特徴です。まどか☆マギカひだまりスケッチの原作者やアニメスタッフが参加しており、その流れも汲んだものだという認識でいます。また、主要キャラが全員女の子な作品といえば、同じ変身ヒロインものであるプリキュアシリーズなどの、日曜朝の幼女向けアニメの類型とも言えます。
 萌え4コマからの流れで言えば、男性キャラは「敢えて」排除されていると言えると思います。それは、百合的なシチュエーションを描きたいとかそういうわけではなく、男性キャラを描かないことで恋愛要素を省けることが、女の子同士の友情だったり、同じ趣味に打ち込む姿が描けたりするわけです。変身ヒロインものの流れから言えば、やはり恋愛要素が無い分は友情に注力できますし、あとは「女の子の特権」としての変身ヒロインという描き方をされていると考えています。まどか☆マギカではそのどちらの流れも汲んでいるように感じています。
 しかしながら、まどか☆マギカって「男キャラ排除」という意味合いだけに留まっていないように感じています。それどころか、男キャラや大人を非常に悪く描いているようにすら感じるんですよね。それはいったいどういう部分で感じるのか、またそこから見える意図やこの作品に置ける価値観などはどうなっているのか、以下に挙げてみたいと思います。

  • 男キャラを悪として描いている部分

 まずは、さやかの運命を狂わせた上条君でしょう。彼は事故でバイオリンが弾けなくなるという不幸な人間ではありますが、さやかは看病し続けていました。が、そんなさやかに上条君はやり場のない怒りや悲しみをぶつけ、それがさやかを魔法少女へと駆り立てたわけです。結果として上条君は怪我が治りバイオリンが弾けるようになりましたが、さやかに対してはどんどん距離を置くようになります。距離を置いているというよりは、ほとんど見えてないというか忘れてしまっているかのような放置ぶりです。これが、さやかが言った「魔法」で治したとしてそれを気味悪がった……のであれば理解できなくも無いんですが、看病される必要性がなくなれば用済み、という風に捉えてしまえるわけです。そう考えると結構酷いヤツですよね。まあ、さやかに当たり散らしたあたりを観ていると、内心はずっとウザく感じていたり、少なくとも好きではなかった(さやかの一方的な片想いでしかなかった)のでしょうが、結果的にはさやかの魔法少女になった動機かつ、失うことで魔女へと変化してしまうわけですから、「悪」でしか無いですよね。トドメは親友と付き合うことになるわけで……。
 杏子の父親もまた、「悪」として描かれているように感じています。新しい教えを世に広めようとして異端扱いにされ、家族で食べるものにも困るようになっても教えを捨てなかった生き方は非常に聖職者としては素晴らしいのですが、あのままだと家族もろとも死んでしまいかねませんでした。そこで杏子がキュゥべえと契約して、父親の教えを聴く信者を増やしたわけですが、それがバレて父親は精神崩壊してしまい、杏子以外の家族もろとも無理心中してしまったわけです。杏子は凄く達観しているというか理解していてはいましたが、考えようによっては父親が全て悪いんですよね。いくら教えが正しくとも、本来なら守るべき家族を守れていないどころか、道連れにして死んでしまうわけですからね。一旦は自分の教えを聴いてもらえるキッカケも作り、かつ家族が食べていけるようにしてくれた杏子に酷い仕打ちもしたわけで。肯定的に考えられなくもないのですが、聖職者としてはともかく、父親としてはかなり最低な人間じゃないかと考えています。
 キュゥべえは言うまでもありませんよね。本人としては正しいことをしているわけですが、それはあくまでキュゥべえの価値観の中での正しいことであって、契約させられたほとんどの魔法少女たちは不幸になり、死んでいってしまうわけですから……。しかもキュゥべえの目的は、思春期の少女たちの悲しみや絶望の感情から生まれるエネルギーらしいのでなおさらです。ちなみにキュゥべえは、マミさんによると「男の子」だそうですので男キャラに加えておきます。
 そして最後に、あのホスト二人組です。まあ、悪ですよねw 彼らの話している内容は、そのままさやかに対する上条君やキュゥべえの本心とも近いと言えるでしょう。女性の敵、という意味で描かれているのだろうと思いますが。ただ、彼らは本心かどうかわかりませんが、さやかのことを少し気遣ってはいるんですよね。キュゥべえや上条君に比べるとマシなのかもしれません。
 唯一、男キャラとしてあまり悪というイメージが無いのは、まどかパパですね。ただまどかパパは専業主夫ということで、そもそも男性としての要素が薄いんですよね。男であることが意図的に薄められているような印象があります。
 ……こういう感じで、登場する男性キャラはことごとく「悪い」んですよね。特に、魔法少女たちにとっては「絶対悪」とも言えるくらいに悪く描かれているようにすら感じてしまいます。

  • 大人キャラを悪として描いている部分

 もう一つは「大人」です。大人も魔法少女たちにとっては「悪」のようです。
 最たる例は、杏子の父親やホストもそうですが、まどかママがそれではないかと思います。まどかにとっては良き相談相手にも思えるわけですが、その実かなり無茶苦茶ですよね。1話での、娘に無理やり起こされなければならないといけないあたりや、化粧をするのに番号をつけないと順番がわからないあたりとかは凄くだらしないですよね。化粧後には格好いいキャリアウーマンになるというあたりなんかは、外面だけ異常に良い、ということでもありますよね。泥酔して帰ってきたり、遅くに帰ってきて更にウイスキーを飲んでいたりと、家族との会話は朝の短い時間だけという状態なようです。働いていて経済面では十二分に暁美家を支えているママですが、家族との繋がりはかなり犠牲にしているような気がします。そもそも、娘のまどかの親友であるさやかの名前すら知らないわけですしね。
 更に言えば、ママがまどかにアドバイスした「ちょっと間違えてみればいいんだよ」という6話でしたが、これもまどかや魔法少女たちにとってはプラスにはなってませんよね。まどかは親友を失うキッカケを作ってしまいましたし、さやかは魔女化進行が早まるキッカケになってしまいましたし、杏子も死期が早まる結果に繋がりましたし、ほむらも重要な戦力である杏子を失うことになりました。まあ全部が悪いことではないのですが、ちょっとの間違いが結果として不幸な展開を招いたことは事実なので、やはり魔法少女たちやまどかにとって、大人に頼ることは良い事ではないようなイメージがここから見て取ることが出来ます。
 まどかの担任の先生もそうですよね。ロクでもない男性観を植えつけているだけのように思います。また、5話で魔女の口づけを受けたモブたちがいましたが、仁美はともかく洗剤を混ぜて集団自殺をしようとしていたのは希望を失ってしまった大人でしたよね。仁美やまどかもろとも殺そうとしていたわけで、どこか家族を道連れにした杏子の父親を彷彿とさせてくれます。
 このように、まどマギでは大人にも頼れないというか、頼ると逆に酷い結果を招く存在として描かれているように思います。

  • これらから導かれる「頼れるのは/好きでいて良いのは魔法少女同士だけ」な世界観と構図

 非常に百合百合しいまどか☆マギカですが、それこそ「けいおん!!」なんかとは比較にならないレベルだと思っています。それは、前述のように、魔法少女たち以外は頼れないというか、むしろ敵にすらなっている構図を考えると、より魔法少女同士での友情が重要になるというか、同じ魔法少女でしか分かり合えないことが多くなり、友情以上の絆を強く描いていることへと繋がっていっていると思います。
 明らかに、杏子のさやかへの想いは友情なんてレベルでは語れませんよね。彼女は自らの命をさやかの心に入り込むために懸けたわけですから、そんなレベルでの友情というよりは、もはや愛しているとしか考えられないように感じています。自らのソウルジェムにキスをして、それとともに魔女さやかに突っ込むあたりは、そのままさやかにキスするようなイメージすら湧きましたし。さやかが男である上条君に捨てられたような形になって破滅してしまうわけですが、それを精神的に救おうとしたのは杏子でしたからね。杏子自身も、魔女にならず、さやかを救いたいという想いから自らのソウルジェムを砕いたわけで、杏子自身も後ろ向きな死では無かったことがわかると思います。
 ほむらのまどかへの想いも同じようなものですよね。10話の1ルート目でのかっこいいまどかに憧れ、それを何としてでも助けたいと思ったところから魔法少女になるわけですが、好感度は多少歪んだ方向になりながらも、まどかへの想いを拠り所に何度も過酷さを見せられても時間を戻しやり直せるくらい大きいわけですから、友情だなんて次元に留まっているような感情では無いように思えます。11話以降はどう描かれるかわかりませんが、まどかが魔法少女になれば即死亡、というわけではなく、お互いに救われるような結末になるのではないかと想像しています。
 これってつまり、けいおん!!的な男を描かないことでの女の子同士の深い繋がりを描けるという意味と、プリキュアシリーズのような特別な存在は変身出来るようになった女の子たちだけで同じ立場の存在同士なら分かり合える、という意味合いの両方が含まれているのだろうと思っています。特に、選ばれた女の子たちだけが特別な存在、ということを強調しているように感じています。それゆえに、彼女たちの狭い関係性を追求できるのだろうと。
 ただこれって、けいおん!!プリキュアの世界よりもかなり踏み込んでますよね。もはや友情だなんて言葉が生ぬるいというか。さやかに至っては、男との恋愛は魔法少女には無理なんだよ、ということを見せつけつつも、救えるとしたらそれは同じ魔法少女だけなんだ、となるわけですからね。杏子のキスして放ったソウルジェムもさながら結婚指輪をも彷彿とさせてくれますし。ええ、もうこれはガチ百合アニメなんですよ。過去に放送された似たような類型のアニメとは異なる、「つぼみ」あたりに連載されても不思議はないくらいに百合な世界観だと思います。
 個人的には、百合な方向に突き詰めてくれるのは、どんな百合的なものも美味しくいただけるので全然構わないんですが、一部でさやかやほむらを男性化して絵を描いている人もいるようなので、ガチ百合路線として見ていない人も結構いるようです。もちろん、この方向性で見ている人はあまりいないのかもしれませんし、それをあまり感じさせないストーリーとか見せ方だとも思いますからこれほどの人気になっているのだと考えてますが。大人には頼れない、男にも頼れない。むしろ恋愛すれば死亡という世界観ですから、自然と魔法少女同士の百合しかなくなるわけですよね。しかも生死が関わってくるのですからより深くなるわけがわかると思います。

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 色々と考えてみると、唯一性の高い作品ですがかなり思い切ったことをしているんですよね。この男性観は行き過ぎじゃ……とすら思ってしまう部分もあるわけですが、それゆえにより惹きつけられている部分があるんですから、この作品の底の深さは異常なレベルだと思います。
 11話以降の放送は4月末以降になりそうな雰囲気ですが、まだまだ妄想は尽きないので楽しみに待てますね! 期待しておきましょう。

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