けいおん!! における琴吹紬のポジショニングと行動原理とは?〜けいおん!!考察

 改めてオープニングを見返してみると、前回の記事で指摘した皆で肩組んで足上げるシーンがありますが、あそこって何度か皆で同時に脚を上げることをチャレンジしていますが、他メンバーが唯に合わせ、澪に合わせで、唯か澪のどちらかがひとり合ってないんですよね。最後はみんな揃うわけですが、唯と澪はその最後の1度しか合っていないという……。唯と澪の2ショットもほとんどありませんし、明らかにこの2人は対立軸というか、対称として描かれているように感じます。

 さて15話ですが、その傾向がより顕著に現れていましたよね。それはもう、京アニスタッフが「わかってるよね?」と念押ししているかのように。
 マラソンの走ってる順番で明らかだったかと思います。澪が先に行き、次いで律、そして紬に唯……と。前回の記事で書かせていただいた通りの順番になっていました。澪が一方的にはぶられているというよりは、現実を直視しているというか、学校生活に対する真面目さor快楽主義的な考え方がですが。
 そう言えば、澪は唯に対して肯定する場面はほぼ無いんですよね。まあ、肯定できるような要素が唯にはほとんどありませんが、例えば抱きついたり女の子から好きだと言われるところでも、澪は嫌がるんですよね、一応。もちろん唯は自分から抱きついていくほうなのですがw
 夏休み楽しかったねーと唯が言った場面でも、澪はさかんに受験のことを言いますしね。もちろん澪が唯のツッコミ役でかつ軽音部の良心という部分が担っているものの、唯が即物的な快楽を追求し続けているのとは対称の存在であることを示していると思います。

【参考:けいおん!!新OPとEDと14話から見る、秋山澪ぼっち化が示唆している軽音部メンバーたちのポジションの違いとは?】

 では、紬はどうなんでしょう?
 紬って前回にも書いたように、本当であれば決められたレールの上を歩いているだけで、この桜高における学校生活も、人生におけるただの通過点に過ぎなかったはずで。しかも自分というものを出すこともないまま終わるはずでした。それが、どういう経緯を辿ってなのかはよくわかりませんが、軽音部の門戸を叩いたわけです。その行動が、ある意味ではNPCであったはずの彼女が初めて自分の意思というものを持ち、つまりは始まった、ということすら言えると考えられます。
 それでも一期というか序盤は、原作者がこの「けいおん」という作品の無茶な設定を解決するために置かれた非常に都合の良い存在であった側面は否めません。高校生ではとても買えないようなギターであったりとか、ほぼ毎日の部活(?)で出てくるケーキセットであったりだとか(アニメ版で言えばここで出てくるティーセットが、普通の家では出てくるようなシロモノでは無いとか)、スタジオ付きの別荘であったりだとか、けいおん!序盤におけるリアル女子高生では成立しえない設定を解決するための、ある意味ではファンタジーな部分を一手に担ったキャラであった、と考えられます。
 しかしながら、「ムギビジョン」なる百合目線を持ち込み始めたことにより、この「都合の良い設定を解決する存在」だけだった彼女の存在に別の意味が付加され始めます。これがけいおんという作品がより愛されるようになるキッカケにもなってるようにも思うわけです。
 けいおん!はどういう視点で見ている作品でしょうか? 主人公は平沢唯ですが、唯視点で見ていると、恐らくはものすごく狭い範囲でしかこの作品を追えていないことになると思います。それは、唯と対極にある澪視点でも同じことが言えると思います。梓も同様ですね。律視点が一番客観的に思いますが、幅広く、この軽音部メンバーたちを第三者目線で見ているのが紬じゃないかと考えています。
 それは何故かというと、紬自らは積極的にメンバーたちとのカップリングを目指しているわけではありません。あくまでメンバー同士の百合シチュを想像して、あるいはキャッキャウフフなシーンにハァハァしているだけです。紬自身がはぶられている、あるいは部員が奇数ということであぶれてしまった、とも言えなくもないんですが、個人的には、この視点こそが「読者、あるいは視聴者の視点」なのではないかと考えています。
 読者・視聴者は当然ながら軽音部メンバーたちと付き合うことは出来ません。いや当たり前だろう頭おかしいんじゃないか? と言う声は甘んじて受けますが、そもそもこの作品はギャルゲーでは無いわけですから、読者や視聴者が主人公となりメンバーとくっつくことが目的ではありません。だとしたら、あくまで傍観者、第三者として眺めているケースがほとんど、ということになるのでは無いかと思います。そうなると、この視点を作品で担っているのは……紬じゃないか? ということに繋がっていくわけです。長々と書きましたが、紬はこの作品における読者・視聴者視点を担っているキャラクターであると考えられるわけです。紬視点であれば、読者・視聴者も作品世界に入っていけると思うんですよね。これだけ書いていても、彼女が作品における重要なポジショニングだということがわかると思いますが、この先は彼女自身の現状と今後についても考えてみたいと思います。
 最初の方に、彼女は自分がなかったが、軽音部に入部するという自身の行動によって「始まった」と書きました。ただ最初は、それこそ他メンバーが軽音部として活動しやすくするために給仕するだけの存在でもありました。学祭だか新入生歓迎会の時に、重たい音楽機材を一人で運んでいたりだとか、普通の女子ではあり得ない設定も持っていたりもしています。キーボードが出来る設定だって、本来の軽音部であれば必ず必要な存在ではありませんしね。それこそ不足する音を補う意味だとか、音楽的に幅を拡げるための配置であるとも言えるわけですし。この辺を見ていると、彼女の存在は本当に軽音部メンバーたちに一方的に奉仕しているだけの存在にも見えてきてしまいますし、実際にそうなんでしょう。しかしながら、彼女が「ムギビジョン」を持ち込んで自らの欲望を満たし始めてからは、一方的な奉仕するだけの存在から、持ちつ持たれつになりバランスが取れるようになってきたんだと思います。
 前回のエントリにも書きましたが、二期の紬は自身の欲望に対して正直になっていきます。「私もスキンシップしたいっ」と正直に願望を吐露してみたり(でも唯には抱きつかれたりもしているんですけどね。自然なことと受け流してしまったのか記憶にすら無いのか……)、即物的な快楽を求める唯の考え方や行動に全力で悪ノリして、楽しさ・遊びの面での軽音部を満喫する方向へと邁進していきます。
 それってやはり、この高校生活が通過点であることを知っているからだと思うんですよね。紬自身は本当は、澪以上にリアリストというか、そもそもこの高校生活を満喫できる事自体が人生においてのイレギュラーだったとも考えられます。なので、序盤こそは楽しむことに対して及び腰だったのが、話が進むにつれて、その一過性な高校生活を全力で楽しむ方向へとベクトルが触れていったのではないかと思っています。
 澪が当初、紬に賛同を求めたり仲間意識を持っていたりもしていましたが、澪自身は紬が常識人であり、かつリアリストであることを知っていたからだと思っています。まあ見事に裏切られ続けて、二期も後半に入り、もはや澪は紬の常識人たる部分には期待しなくなってきているようにも見えますが……(反面、15話では律が澪よりの立場でいますけどね)。
 ただ、唯と紬で大きく違う点もあります。それはやはり、「将来が見えているか否か?」でしょう。唯はこの段階でも、まだ全く桜高を卒業した後の自分は見えていないでしょう。というか全くわからないんじゃないかと思います。とりあえず進学することに決め、受験勉強を周りに流されるままに始めていますが、これも律や和あたりが進路を決め、あるいは唯に対して諭したりした結果ようやく動き始めたものであって、自身の意志はあまり感じられません。しかし紬は違いますよね。進路はいち早く某女子大に決めていますし(決められている?)、そもそも桜高自体が通過点に過ぎず、常に将来どうあるべきかを叩き込まれて生きてきた彼女ですから、将来のビジョンについては澪以上に持っているのだと思っています。その中には当然、「目指せ武道館!」なんかはあり得ないことだと考えるようなシビアな部分も持っているのかもしれません。音楽に対しても、作曲したり幼少期からピアノに触れてコンテスト受賞経歴も持っている彼女ですからね。
 なので、紬が唯と同じように即物的な快楽を追い求めているのは、時限的であるからこそだと思うんですよね。時間に限りがあることを知っているからこそ、よりたくさんの楽しさを貪欲に求めているのだろうと。時間が有限であることを認識していないかのような唯とは、恐らくこの点が全く異なるんだろうと思います。
 ですから、本来の紬は澪に近いんだと思います。それがたまたまこの時期に、自分のしたいことに気付かされて、あと軽音部で過ごせる時間が残り僅かなことを認識して、より唯に近い思考で行動的になっているだけなんでしょう。だからこそ、あのスキンシップ発言でもあり、律とのデートというかツッコミの下りだとかがあったのだと思います。逆に、そうやって割り切っているからこそ、よりぶっ飛んだノリになっているようにも感じます。ただし、唯のような超のつく天然物とは違って、自らの発想力では行動を起こしきらないために、唯とかに悪ノリという形で楽しんでいるのでしょう。

 分かりきってるわ!! と思われることを長々と書いてしまいましたが、まあつまりはそういうことなんじゃないかと思います。そんな時限的な楽しい空間を精一杯満喫しようとしているムギちゃんを見ていると、こう優しく見守りたいというか、胸が締め付けられるような感じというか、そういうものを感じてしまうのは僕だけでしょうか?


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