「けいおん!!」に置ける中野梓視点の産み出したもの

 先日、「けいおん!!」アニメBD8巻が届いて、いよいよBDマラソンも残すところあと1巻のみとなりました。最終回が収録されているのが8巻ですが、最終回2つ手前の22話を観た時点でもの凄い泣いてしまってなかなか先が観られなさそうな気がしますw
 さてそんな「けいおん!!」ですが、個人的には一期や原作の「けいおん!」とは全く位置づけが異なる独立した作品という印象を強く持っています。先日の記事で書きましたが、「けいおん!」が持つ面白さや構造的な良さみたいなものを超越した部分で作られているからではないかと思っています。
 では、何故「けいおん!!」という作品がこれだけ唯一性を持ってしまったんでしょう? 原作が枯渇してアニメと原作連載が同時進行になっていた事情はあるでしょうが、ほぼオリジナルアニメといって良いくらいに再構成されたからこそなんでしょうけど、その中でも「けいおん!!」が持つオリジナリティを際立たせた要素が何であるかを考えてみました。

■梓視点で描かれていた「けいおん!!
 「けいおん!」という作品は、基本的には固定的な視点を持たず淡々と眺めるように描かれていたと思いますし、そういう印象を持っている人は「けいおん!!」になっても変わらないんじゃないか? と思ってる人もいるでしょう。
 しかしながら「けいおん!!」では、ほぼ全編を通して視点が中野梓に固定されています。もちろん梓が出てこない場面は除きますが、それ以外はだいたい梓から観た軽音部、という構図で描かれていました。
 そのことで起こる効果は何なのでしょうか? 以下に挙げてみます。

  • 世界が広がった

 梓を中心とすると、軽音部だけではなく梓自身の所属しているコミュニティも当然描かれることになります。そこに平沢憂だけではなく鈴木純もいるわけですから、純が「けいおん!!」において非常に存在感を見せたのは、梓視点で描かれたからなのは間違いありません。
 けいおん!の世界ってもの凄く狭いですよね。軽音部以外は真鍋和と先生くらいしか出てきませんし、あとは律の弟や紬の執事とかその程度です。舞台もほとんどが音楽室ですしね。それに唯たちの交友関係も軽音部の中以外はほとんど描かれませんし、軽音部の中で収束してしまっている感じがあります。そこを「けいおん!!」では純と憂と梓のグループを描くことで、世界を広げた感がもの凄くしました。

  • 視聴者が作品世界に入り込めた

 梓って軽音部の上級生メンバーとは少し距離を置いていますよね。同じ軽音部メンバーながら、少し差があるというか。なので、軽音部にいながらどこか第三者的な目線を持っていると思うのです。それが、視聴者から軽音部を観たときの目線に近いのかな?と思いました。
 軽音部と一歩引いた視点というのは、「けいおん!」では紬の役目だったんですよね。通称ムギビジョンでの百合シチュ萌えあたりは、視聴者や読者の目線と共有することが出来ましたし、仲が良く自由すぎる3人から一歩離れたところから客観的に観ていたのが「けいおん!」の紬でした。が、「けいおん!!」ではそのムギビジョンなるものがほとんど出てこなかったと思います。それは、紬も自分から軽音部メンバーとして主体的に行動をしているからでもあるんですが、梓がその一歩引いた視点を担っていることからその必要性が無くなったからでもあると思います。

  • 先輩4人との距離感の演出が出来た

 さきほどの項目で触りましたが、過ごした時間が1年短い梓と他の4人、ということでの距離感の演出には役立ったと思います。アルバム「放課後ティータイムII」のDisc2に収録されているミニ寸劇で、律が「デコピ〜ン」といきなり言って他の3人が笑い出す場面がありますが、梓だけがこの笑いのツボがわからず戸惑う様が描かれていましたが、あれはそれの最たるものですよね。ライブが終わった後に4人が泣き出し、梓は逆にそこで先輩たちをなだめる方に回ったりするのもより効果的に映りました。
 梓が、あまり真面目に活動しようとしない軽音部の先輩たち(特に唯)に対して、やや不満を持っていることも距離感の演出に繋がっているように思います。原作でもプリプリ怒りますが後半はかなり懐柔されてる感じなので、その差も割と際立った気がします。

  • 「天使にふれたよ!」を効果的に演出出来た

 1曲のために演出したとは考えにくいのですが、最終回で演奏された「天使にふれたよ!」に涙した人は多かったのではないでしょうか。この曲は、軽音部の上級生4人が梓のために作って演奏した曲ということになっていますが、梓視点で、梓を通して「けいおん!!」を観ていたのだとすれば、この曲は視聴者たちに向けた曲だった、という意味が生まれるんじゃないかと思います。軽音部4人から梓に、視聴者に送られた歌ということで聴くと、よりこの曲の凄さが感じられるのではないかと思います。そして同時に、卒業していくメンバーと残される梓という構図は、「けいおん!!」という作品が終わるという意味で視聴者たちとの構図とも合致するという凄くよく出来た仕組みになっているようにも感じています。
 視聴者が入り込む形にはならなくとも、梓目線で先輩たちの贈る言葉としての「天使にふれたよ!」という意味にもなりますので、二期ではずっと先輩たちを観てきた梓の主観的な気持ちが凄くわかりやすくなったように思いました。

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 このように、「けいおん!!」における中野梓視点には恐らくこのような意味があり、描かれ方をされていたのだと思います。そうやって見返すと、本当に原作や一期とはまた違った意図を持って作られていますし、非常にアニメオリジナルに近い描かれ方だったのも頷けると思います。
 なので、12月3日公開と決まった劇場版けいおん!はどう描かれるのかとかは凄く気になってます。個人的には「けいおん!!」ではないのですから、一期ベースの自由度のあるけいおんを描けばいいんじゃないかと思っています。「けいおん!!」は非常に完成度の高い、あまり隙のない作品だと思っていますので。

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