さくらむすび 考察2

 10月22日のブログ『さくらむすび 考察1 - りきおの雑記・ブログ』の続きになります。

 亮一と世津子の「身分違いの恋」とか、主人公と可憐との間にある「見えない壁」「化け物」は、おそらく同じものだと思ってます。それは「被差別部落」の問題です。「同和問題」と言い換えたほうがわかる方もいるかもしれませんね。

 とりあえず、この被差別部落の問題について少しだけ書きます。
 そもそもこの問題は、室町時代くらいから始まっていると言われています。その頃、農業など「普通の」仕事とは異なる仕事を生業としていた人たちがルーツと言われてます。僕が知っているのは、家畜などを処理・解体したり、その皮で物を作ったりしていた人たちが、そういうポジションだったと言われています。あと、能を大成した観阿弥世阿弥親子も同じグループの人間だったらしいですね。
 ただこの当時は、まだ明確な差別対象にはなっておらず、この時代を起源とするのは無理があるわけです。
 この問題が差別的に扱われるようになったのは、江戸時代の身分制度からだというのが一般的です。士農工商というランク付けの下に、そうした人たちが置かれ「人以下である」という意味の名前をつけられ、蔑まれてきました。これは権力者の人心操縦術なのですが、民衆には圧政を強い、その民衆のはけ口を、そうした差別される人たちに向けさせた、ってことです。

 で、元々の居住地域がそうだったのか、あるいは権力者によって移住させられ集められたのかはわからないのですが、そうした差別を受けるポジションに就かされた人たちは、同じ集落に集められました。これが「被差別部落」という名称につながり、部落の名前そのものが差別の対象になっていったわけです。

 では何故、「さくらむすび」とこの「被差別部落」の問題が絡んでいるのでしょうか?
 それは、主人公の自宅周辺の描写でわかります。

 例えば「街灯が無い」「舗装されていない道を…」「川の向こう…」です。
 この被差別部落は、大きな街道の脇とか、大きな川の向こう岸などに多く存在しています。また該当する部落では、舗装などの整備が遅れる傾向がありました。
 つまり、主人公が暮らす「金山家」は、そうした部落にあったのでは無いかと。となると、世津子と亮一の間にあった「身分の差」もわかると言うものです。
 で、その血筋を持ち、その家で育った主人公と、可憐の間にあった、壁や化け物の正体もこれだと言えると思います。

 ではまた次回。