原作派からすれば不満?な最終回+特別編〜CLANNAD AFTER STORY 22話「小さなてのひら」感想

 タイトルにはこう書きましたが、泣きましたよもちろん。ただ、原作厨としてはどうしても書いておきたいことがあります。それは「幻想世界の少女=汐」ということを決め付けてしまったことです。
 確かに、そういう図式にでもしなければ、幻想世界と現実世界との接点をわかりやすく説明することは不可能なんですが、そうするとかなりの矛盾も出てくるんですよね。渚が「お連れしましょうか?」とか言ってたセリフがワケわからんことになってしまいますし、ゲーム開始時から朋也と渚が結婚して汐が生まれるということが決まっていた(最初からループしていた?)ことになってしまうので、余計にワケわからんことになってしまうんじゃないかとも思うのです。
 ちなみに僕がCLANNADクリア後に書いた考察記事です。改行が見難くて申し訳ないですが、よろしければどうぞ。
http://rikio.hp.infoseek.co.jp/C4_5.htm
 「光坂」で汐=少女であると公式に為されたんですが、どうにも納得がいかない部分が数多くて、ここは違くね?って今でも思ってるんですけども…。賛同者は少ないんでしょうか。

 まあ、麻枝さんが「それでいい」ってGoサインを出したんでしょうから、原作を汚したとかそんな風には考えていませんけども、CLANNADの核を為す部分の解釈ですから、かなり気になりました。
 ただ、原作を知らない人はどう見ましたかね? これで何となくでも幻想世界を理解できたとしたら、それはアニメ的には大成功と言えるんですけどね。でもまあ、少女=汐と安易に決め付けるよりも、より深く理解したほうが泣ける場面が激増するので、原作をプレイすることをオススメしますw
 それと、「小さなてのひら」の後に特別編を入れるのはどうかと…。完全に終わってますからね、一期と違って。24話としてDVD特典に何か入るのは良いことだし嬉しいのですが、通常放送の最後に過去の話を入れられてもな…と思いませんか? 一期の時も夏休み特別編としてオリジナルの話が入ったわけですが、あれはまだ続きの話だったから良かったと思うんですよ。この構成はどうなんでしょうか? 余韻に浸る意味でも、通常放送を1話多くして今回で終わるほうが絶対に良いと思うんですが…。
 もう一つは、奇跡の起こし方がKanonのあゆが起こしたみたいな、予定調和的というかあまりにご都合主義的な感じがしましたね。幻想世界の少女が最後に頑張ってガラクタ人形(朋也)を送り出したことですべてが上手くいって、最終的に自分まで朋也の側に来られる…って、何だその劇的ハッピーエンド。少女は、大きな代償を払ってからこそ、朋也や渚・汐たちを救い、朋也たちとの繋がりを切ってしまうのが原作での流れなんですが。それが全く体現されていないってのはどうなのかと。原作では、特に汐=少女って終わり方じゃなかったと思うんで、かなり違和感がありました。