個人的に智代アフターを好きになれない理由

 このブログへのアクセス件数が多いキーワードは、実は「智代アフター」だったりします。何で今話題なんだ?と言うのは…CLANNADの次のアニメ化が智アフじゃないのか?というウワサから来ているんでしょうか? 智アフが色々なところで再評価されているからなんでしょうか? 日々それほど話題になっているとは思わないのですが。
 そして、このブログで智代アフターの話題を中心として取り上げたことはほとんどありません。それは、このエントリのタイトル通りの想いを個人的に感じていたからです。このエントリは、そんな管理人の主観のエントリなんで、主観的に書いているという部分での苦情は全く受け付けませんのでご了承ください。

 麻枝准自身が「何で受け入れられなかったのかがわからない…orz」とうつ状態に入ってしまったり、最近では「ライトなファンには叩かれたけど、古参のファンが評価してくれてるのが嬉しい」と言っていた智アフなんですが…僕は古参ですけどねw どう麻枝さんが捉えようが、僕の中での智代アフターの評価や引っかかる点は全く変わり無いんです。いくつかあるんで、その辺を描いていきたいと思います。
 一応、PC版しかやってませんしやりこんでません(エンディングを一度見ただけです)。あと、CLANNAD本編の智代は当時あまり好きではありませんでした。主には、CLANNADとの比較になると思いますが。

  • 朋也が記憶喪失になってしまったキッカケの事故が偶発的すぎ

 これが一番です。全く必然性が感じられないし、伏線も無かったでしょう。エンディングへ持っていくために意図的に起こした事故としか考えられません。CLANNADでの数々の不幸イベントには、それぞれ理由が用意されていたと思うんですが、この作品に関しては、偶発的な事故でしかありません。廃品回収が仕事→ゴミの山では我を忘れる→怪我するのも当然…みたいな連鎖が成立するならアレですが、そうじゃないですよね? 廃品回収業者がゴミ山で転落するのよりは、電気工がふとした気の緩みで転落するほうがよほど自然ですよね(ぇ。
 この場面って、この作品のエンディングへと繋がる重要な部分だと思うんです。どうして智代は最後あれだけ辛いところを乗り越えなければならなかったのか? あの場面までで智代はある程度経験をしたり、自分の弱さを曝け出したりそれらを乗り越えてきていると思うんで、あとは朋也を失っても歩みを止められたか?? と言うことなんで、別に朋也を殺す方法なんてどうでも良かった、ってこととしか考えられなくて…。

  • ともが好きになれなかった

 汐との比較です。あるいは25歳児との比較か。真の幼女好きじゃないということがわかりました。これって全然重要じゃないですね(汗。
 

  • シナリオが一本道だった、ボリュームがなかった

 フルプライスの割には一本道でボリュームがモノ足りませんでした。これは、直前にCLANNADをやってしまっているからなんですけどね。あれと比べるとどれもボリューム不足ですからw まあそれは仕方ないとしても、せめてAFTER部分くらいのボリュームが欲しかったところですね。これも求めすぎですけど。

  • 河南子が好きになってしまった(超個人的)

 河南子、可愛すぎませんか? キャラデザから服のデザインから性格とか掛け合いの面白さとか、もうかなりハマったんですがw 当時あまり智代が好きじゃなかったこともあって、余計に河南子にハマりました…。あの掛け合いの面白さとか、朋也が転落した時の狼狽ぶりとか、お前ら付き合えよ!って思ったくらいで(台無。いやでも真面目な話、智代よりも河南子のほうが、朋也と息が合ってた気はしました。それも、朋也と智代を描く時に必要なスパイスみたいなものだったのかもしれませんけどね。

  • 智代の弱い面ばかりが強調されすぎていた

 CLANNAD本編では、智代ってかなり強いキャラ、ってイメージがあったんですよね。でもこの智アフでは、少なくとも智代が強いという場面は…本当に後半の後半しかなかったような気が。そのイメージの乖離があって、余計にシナリオに集中できなかったように感じました。

  • 朋也がCLANNAD本編に比べるとかなりしっかりしていた

 これも結構違和感があった部分ですね。智代よりも強かったかも。CLANNAD本編での朋也って、努力はそれほどしないし、打たれ弱いし、AFTER部分では渚に引っ張られてたイメージが強いんですよ。春原なんかよりもある意味ではヘタレですし。
 ですから、智代アフターでの朋也ってしっかりしすぎな気がするんですよね。仕事を頑張るのはわかるんですが、ケンカの特訓とかともの親探しとか色々と頑張るし、更にはその成果がすべて出ているんですよね。結局はあまり極められたものがなかったクラ本編とはかなり違うような…。
 どちらかと言うと、智アフの朋也のほうが、ギャルゲーの主人公らしいんですけどね。努力で何でも解決してしまうってところが。クラ本編の朋也が異端なだけなのかもしれません。ただ、AFTERでの人間臭い朋也に慣れ親しんでいるモノとしては、違和感が残ってしまう部分でした。

  • シナリオの作りが雑で方向性が定まってなかった?

 これもCLANNADとの比較ですね。伏線みたいなものがあまり無く、個々のエピソードがその場だけの話で終わっている気がするんですよ。で、それらから最後の結末へ向けての何かが見えてこないと言うか。
 CLANNADって、色んなところに意味を持たせていたんですが、智アフにはそうした丁寧さとか緻密さが感じられなかったんですよ。それが余計に読後感にも影響したと言う感じです。

  • 「Life is like a melody」があまりに良すぎた

 読後感に大きな影響があったその2ですね。はっきり言って、この曲の、この歌詞・歌声の良さが、ゲームのシナリオを食ってしまっている気がしました。シナリオあってのED曲だよ!と言いたいのですが、あんまりにもこの曲は素晴らしすぎました。ので、ゲームが終わった後、シナリオについては「??」だったのですが、この曲だけで泣きました。あと、この曲の詞を見てこのゲームのテーマを理解して2度泣きました(汗。KSL Liveで生歌を聴いてやはり泣きました。
 CLANNADだと、ゲームのテーマの一つだった「渚」という曲のアレンジであるのがED曲「小さなてのひら」なのですが、ゲーム中に何度も聴いたお馴染みかつ胸が苦しくなるような曲が、最後の最後にああいう形で昇華されたわけですから、ゲーム全体を本当に纏め上げたと言うか、最後に相応しい歌だったと思うんです。智アフの場合は、インストとして曲自体はゲーム中にも使われてましたが、やはりシナリオのボリュームと言う意味では重さが足りませんでした。ので、余計にこの「Life is like a melody」の良さが勝ってしまったのかな、と。


 まあ、酷い主観ですね。ここまで読んでくださった方、本当に申し訳ない感じです。重要っぽいところからどーでもいいとこまでホントに。
 ちなみに、PC版では最後に朋也が死ぬところは回避できないのですが、個人的にはその部分はどうでもいいです。朋也が死ななければ伝えられないメッセージだと思うので。何が言いたいかと言えば、これってCLANNAD AFTERの朋也との比較だと思うんですよね。CLANNADの朋也って、結局は渚がいなければ生き続けることが出来ないわけです。が、智代は一人でも生きていける…。そんなメッセージも描きたかったんじゃないかなあって。例え恋人を失ったとしても、前向きに歩いていくような人生があってもいいじゃないか!って。
 ですから麻枝さんに伝えたいこととしては、この作品のメッセージ性自体は全然ありだと思うんですが、それを伝えるための方向性とかが違うんじゃないですか?ってことです。偉そうですいません(汗。