中学生日記的な作品として観るアニメ「Another」

 11話あたりで某所では話題沸騰気味のAnotherですが、個人的には福圓美里さんの演技に驚きながらも楽しく観させて頂きました。
 さて表題の件ですが、今期アニメで中学生日記風といえば「ブラックロックシューター」のほうじゃないか? と言われる方もいるかと思います。実際にBRSは心の内面を異世界で人形たち(?)が戦うことで晴らしていたりはしたものの、女子中学生たちの心の葛藤とぶつかり合いを描いていたので確かに中学生日記的ではありますが、同じように中学生がメインのAnotherにも同じようなことが言えるのではないかと思うのです。
 ミステリホラー的なAnotherがどうして中学生日記なのかとか、中学生日記でこんなに人死んだら現実的じゃないだろうとか言われそうですが、原作者の綾辻行人先生や監督の水島努さんが口をそろえて「Anotherとは青春モノである」と言っているあたりから、そういう青春モノとして観た場合のアニメAnotherを観てみたいと思います。

  • いないもの扱いを「いじめ」として観た場合の作品世界

 個人的にAnotherを観始めて感じたのが、鳴ちゃんって苛められてないか? ということです。「いないもの」扱いされているという理由はわかるのですが、客観的に観た場合に、クラスメイトから徹底的に無視されるわ、あんなボロボロな机を与えられるわ、ついでに先生からも無視されるわとただのいじめ状態だと思うのです。それが一年間続くわけですから、途中でいないもの扱いに堪えられなくなったという生徒が出てきても不思議はないくらいにしんどいことですし、中学3年生という青春まっただ中の1年間を捨てなければならないのはとても辛いことだと思います。しかも、いないもの役をやらないといけないのはどういう理由かわかりませんが指名された1人だけなわけで、非常に理不尽なことだと思います。そして、クラスで1人だけいないもの扱いをするということを先生側から生徒にある意味では強要しているとも考えられるということは、いじめを先生の側から勧めているようにも見えてしまいます。
 この上から強要されるいじめを何かいい例はないかと考えたんですが、江戸時代の身分制度ではないでしょうか。えた・非人といった士農工商よりも更に下のもはや人でない扱いを受けていた層ですが、彼らは江戸幕府からそういう身分であることを強要された存在で、士農工商の身分の人たちの不満をその下層認定された人たちを作ることで逸らしたとも言われています。いないもの扱いはまさにそれで、クラスで1人だけそういう人でない扱いをされる生徒を作ることで、問題の発生を防ごうとしたという風にも感じられるのです。あのボロボロの机を観ると、もはや勉強もしなくていいと言ってるかのような感じですしね。
 いじめの仕組みについても考えてみましょう。なぜいないもの扱い(いじめ)をしなければならないのでしょうか? それは現象、あるいは災厄とも言われている3年3組の生徒やその両親兄妹が死ぬ現象を起きないようにするためです。が、対策をしていても現象が起き始めることもあるようですし、あくまでも「そう言い伝えられてるから」的なおまじない程度の理由でしか無いような気がしてます。ただそういうものなのに、1人の生徒に対して人権を無視したかのようなことを強いるわけですからちょっと理不尽な気がするんですよね。それを「仕方の無いこと」として受け取るのが夜見山の人間で、おかしいと思ったのが東京から来た恒一なのかな、とも思ってます。そして「現象」とは、もちろんアクシデント的なことが続いて「現象が始まった」と認識されるのだろうとは思うわけですが、中には担任の先生みたいに頭がおかしくなって自殺するようなケースもあるわけです。作品で描かれているこのケースは最悪だとしても、正気を失ったり興奮状態にあるような人間が死ぬケースが多いようにも思うんですよね。これら全部をひっくるめて「現象」で死んだとしてしまってるのが何となく大雑把すぎると感じるのです。つまりは、本当に事故だった場合とか、「現象」で済ましたいような不可解な死とか、誘発された死とかも全部同じ死にしちゃってるんですよね。これって、クラスのいじめや不登校や学級崩壊とかそういう色んな難しい問題を全部1つの問題にひっくるめたような感じにも置き換えてしまえるような気がしています。つまりは、そういう諸問題を「現象」として、その「現象」を起きないようにするために、1人の生徒を指名して集団無視といういじめをして解決しよう、という感じです。ちょっと違いますが、いじめという負の要素を1人に全部背負わせることで、他の問題を起きないようにしている、というのとあまり変わらないのかな? と考えています。
 鳴ちゃんってつまり、いないもの扱いされるわ双子の妹は死ぬわ(どっちが先かわかりませんが恐らく前者)でめちゃくちゃ可哀想な状況があの1話だったわけですよね。恒一君との受け答えにどこか空虚さがあったのはそういう意味もあったんでしょう。あそこで恒一を無視しきれなかったのは人恋しかったこともあったのかもしれませんね。

  • いないもの扱い→解けた→死者扱いの変遷の意味

 いないもの扱いは恒一君にもされることになり、3年3組では集団無視される対象が2人になった時期がありました。が、全然意思統一されていないんですよね。副担任の三神先生のスルーっぷりには驚きましたが、勅使河原や望月君は無視しきれなかったり、ほかのクラスメイト達もどこか意識せざるを得ない部分があったように思います。これは、一旦起こり始めた「現象」がこんなことで止まるはずがないという疑心暗鬼な部分と、恒一の人柄を知っていじめる気になれなくなってきたクラスメイトと両方いるのだろうと思います。セリフの殆ど無いキャラでも、その時の表情でそのキャラのスタンスが結構伝わる作りになっているのでその辺がすごくわかりやすいんですが。どちらかと言えば内に篭る感じもある鳴ちゃんと、割と自己主張する恒一ではいじめられっ子としての適性みたいなものも全然違う気がするんですよね。なので余計に無視しきれなかったのかなと。
 担任が死んでいないもの扱いは一時的に解かれますが、それでも海水浴回では鳴ちゃんはしばらく1人でいましたし、その後死者が出たことでまた赤沢さんに犯人扱いされるようになってしまうわけです。これってつまり、最初に決められたいじめられっ子がいじめられっ子認定からは脱出したのにポジション的にまた逆戻りしたって意味じゃないかと思うんですよね。先生(上)からもそういう扱いからは解放された的なことは言われたのだろうと推察できますが、まだそういう扱いにしたがる人間が残っている。これって前述した士農工商の下のえた・非人が明治期になって撤廃されて以後も身分差別を受け続けたことと少しにている気がするんですよね。もちろん、元々そういうものに反対だった人(恒一)や、撤廃されたから普通に接する人(勅使河原や望月)もいたわけですがそれもまさに3年3組では描かれているように見えてしまいます。
 一旦いじめられっ子や憎まれ役認定された生徒が、再び他の生徒と同じように笑い合えることは恐らく凄く難しいことなわけで。そう考えると、すぐに鳴ちゃんがフレンドリーに迎え入れられなかったり、死者扱いされた時にあまり味方になってくれそうな生徒もいないのもわかるような気がしないでしょうか? 合宿所で赤沢さんが鳴ちゃんに責任を押し付ける箇所がありましたが、あれも多くのクラスメイトが思ってることを代弁してるだけな気がします。当然恒一目線な視聴者にはキツいし的はずれなことを言ってるようにしか見えないわけですが、あれはそういう見せ方をしているだけでもありますしね。
 そして例のテープを聴いた杉浦さんが赤沢さんに、鳴ちゃんが死者ではないかと言うわけですが……。ただ、このテープだって本当のことかどうかはわからないわけです。もし真実だったとしても、その死者とやらを殺したおかげで災厄が止まったのが偶然かもしれない。個人的には、いじめ再開のための口実として利用しただけという気がしてなりません。つまりは、結局は鳴ちゃんを快く思っていない赤沢グループが再び鳴ちゃんをいじめるための根拠を作ったというか、いじめても仕方のない存在だとクラスメイト達に認めさせたという風にも見えます。もちろん、次々に関係者が死んだり怪我したりとか続いてなりふりかまっていられない事情はもちろんあるのですが……。ただし、いくら「死者を死に還す」のだったとしても、その死者は元々は不幸にも現象で死んだ罪のない中学生だったわけですし、もし鳴ちゃんが死者でなければただの殺人なわけです。それを軽薄な根拠で実行するというのは、いじめがエスカレートしていく様そのものではないでしょうか? いじめも、最初は無視などという精神的なものから始まりますが、だんだんとそれが身体的な暴力へと発展してきて最終的には死に追いやるなんてケースもあったわけです。流れは極端ですが、そういう風にも個人的には見えてしまうんですよね。そしてそんな鳴ちゃんを庇おうとする恒一もいじめの対象になってしまう……というのもいじめの構図としては近いものがあるように思います。まあ杉浦さんが恒一は殺さなかったように、いないもので死者扱いの鳴ちゃんとは扱いが違うようですが。
 もちろん、赤沢さんたちが鳴ちゃんを殺そうとまでするのは、災厄を止めるためです。が、止まった所で既に大惨事になっちゃってるわけですし、赤沢さん→鳴ちゃんは恒一絡みの色恋話が絡んでいるようにも見えますので余計に厄介ですし暴走しがちになるんじゃないかと思ってます。そういえば、テープを流して杉浦さんが鳴ちゃんを死人扱いすることを公言した後に、三神先生が鳴ちゃんを殺そうとする生徒を止めようとするシーンがありますがあれは滑稽でしたね。元々いじめの構図を作った側だった人がここで止めようとするんですから、小手先の対処としか思えませんでした。止められなかったのは恐らくそんな言いだしっぺ側の先生には今更止められなかったという意味なのかもしれませんね。

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 とまあ都合のいい場所だけを拾ってきて書いてみましたがどうだったでしょうか? 悪口言ったみたいになりましたが、赤沢さんは対策係としての使命感と、兄貴が死んだことでより「現象」への懸念が生まれたことによる過剰な言動、という感じでしょうし、杉浦さんは1話から恒一を見る目が凄く疑わしかったりもしてましたしこれまで1度も会話してませんしそもそも好きじゃないんでしょうし、三神先生にしても長く続く呪いみたいなクラスの伝統を続けただけですしね。
 榊原という苗字の持つ意味や、本当に鳴ちゃんはただの可哀想な子なだけなのかとか、まだまだ明かされていなかったり不明な部分が残されているわけですが、「現象」というものに振り回されがちだけど「いじめ」に置き換えてみると当てはまる要素はたくさんあったと思います。ただちょっと人が死にすぎるとか不幸が重なりやすいだけであって、いないもの扱いが悪質ないじめの一種であることは間違いないでしょう。
 個人的には、そんな悪しき風習に惑わされているこのクラスやこの町、そしてそのために理不尽な仕打ちを受けた鳴ちゃんを救い、この「現象」の根拠や大元を見付け出して断ち切ることが出来たらそれはハッピーエンドなのでしょうけど、多くのいじめや悪しき風習は一発ではなくなるわけではありません。なのですっきりした形のハッピーエンドは求められないような気はしてます。どんな最終回になるか不安もありますが楽しみですね。

Another 限定版 第1巻 [Blu-ray]

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0巻の0話楽しみですね。