賞賛される/叩かれる脚本家と、言及されにくい脚本家の違いとは?〜虚淵玄・岡田麿里と吉田玲子

 羽海野渉さんのエントリ(全て脚本家一人のせいにするなよ!――『アルドノア・ゼロ』と『PSYCHO-PASS』、『艦これ』)が話題になっていてそれに便乗しようと思ってますが、そもそもこういう話題の時に、取り上げられやすい脚本家と名前が挙がりにくい脚本家が存在するように感じます。言うまでもなく虚淵玄さんは知名度も高いのですが、関わったアニメでのヒットも多くその功績の高さが殊更語られているように思います。Keyの麻枝准さんももちろんなんですが、その他にも岡田麿里さんあたりも監督以上に名前が出やすいように感じます。一方で「けいおん!」「たまこラブストーリー」「ガールズ&パンツァー」「のんのんびより」「弱虫ペダル」など、ヒット作に多く関わっている吉田玲子さんなどは関わった作品の良し悪しの時に名前が出ることが殆ど無く、むしろ語られなさすぎることが異様な感じにも思えてしまいます。
 そこで今回は、語られやすい脚本家とそうでない脚本家の違いが何処にあるのかを考えてみたいと思いますし、脚本家がどのくらいそのアニメに関わっているのかの深度についても考えてみたいと思います(以下敬称略)。

 まずは元・鍵っ子らしく麻枝准から行ってみたいと思います。氏が作ったアニメといえば「Angel Beats!」くらいしか無いわけですが、最初に膨大なシナリオを書いていたところから始まっているようです。そのシナリオを元に企画を進めていき、後から監督を岸誠二氏に決めたとスタッフインタビューなどで書かれていますから、大本の企画の出発点のところには監督はいなかったということになるのかもしれません。そのくらい、シリーズ構成・脚本:麻枝准への比重が高いということになります。もちろん麻枝准は講演会で、絵コンテ段階で脚本がずいぶんと変わってしまったとぼやいてましたけど、ギャルゲーやラノベでいうところの原作相当のことを脚本の立場でやっていた、と言えると思います。
 麻枝准はゲームでもやっていたように、AB!でも歌や劇伴を作っており、時には音響監督と意見の食い違いも起きたともありました。原作者が音楽まで担当したり音響のことまで口出しすることはまずあり得ないと思うのでかなり特殊なケースかとは思いますが、最もオリジナルアニメにおいて作品の大部分に影響力を及ぼした脚本家は、AB!における麻枝准と言い切れると思います。

 名前の挙がりやすい上に監督以上に目立ってしまう人気脚本家として、虚淵玄岡田麿里のが挙げられると思います。虚淵玄ニトロプラスでエロゲを作っていたことでも知られていますし、岡田麿里もエロゲのライターをやっていたということを発言することがあったようですので、似たような出自を持っているということになります。前述の麻枝准もエロゲライターだったのですが、なぜエロゲライターが普通の脚本家として以上に目立ってしまうのかといえば、一言に「ライター」と言っても実際にはその作品の企画立案から作っていたりしているので、脚本家という職業の範疇を超えてプロデューサーの仕事も含んでいるように思います。
 そんな中で虚淵玄は「魔法少女まどか☆マギカ」で全話脚本を担当して大ヒットさせました。氏の仕事の範疇はあくまでも脚本部分ですが、先に魔法少女ものというコンセプトで全話脚本を書いて、それを新房昭之監督らに渡して、というもので、その後の工程にも関わってはいるのでしょうけど、前述の麻枝准と比較すると氏の仕事の範囲は限定的と言えるでしょう。とは言え、原作者とは言い切れるものでしょうし、氏のカラーが良く出た(ただし上手くアレンジした案件ともいえる)と思います。岡田麿里に関してはインタビュー等を細かくチェックできていないので詳しくはわかりませんが、全話脚本だった「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」は原作と呼べるポジションだったのだろうと想像できます。
 ただ、さすがに全話脚本ともなるとその脚本家が原作者みたいな呼ばれ方をしても違和感はないのですが、両名ともに人気もあって忙しく、シリーズ構成としての仕事に徹して各話脚本については別の脚本家に任せるケースが目立ちます。そうしたケースでは何処までシリーズ構成をする脚本家があらすじ的なところを作っているのかわからないわけですが、少なくとも作品への関与度は低くなっているわけですし、シリーズ構成の脚本家がストーリーを全部見ているわけでもありませんから、ストーリー面に強い監督であればむしろ監督自身による意思とかやりたいことがより反映されているケースも多いでしょう。虚淵・岡田両氏に関してもそれが言えると思います。作品によって関与度が全く異なるようなイメージで観ています。
 サイコパスだと、虚淵玄だけではなく深見真氏が共同脚本としてクレジットされており、劇場版だと格闘する場面や銃撃戦の部分が、テレビシリーズだと猟奇的な事件のアイデアあたりにはむしろ虚淵色よりも深見氏の色が反映されているように感じますし、「劇場版BLOOD-C」の塩谷直義監督のダークな色や「踊る大捜査線」の本広克行総監督のエンタメ性も相当反映されているようには感じています。「翠星のガルガンティア」はちょっとわかりませんが、「楽園追放」では水島精二監督の王道感がより強く前面に出ていたようにも感じますし、それ故により大きなヒットに繋がったようにも思いますので、原作者と呼べるほどのポジションではなかったように捉えています。
 岡田麿里シリーズ構成アニメで一番脚本家として作品に及ぼす影響を薄く感じたのがTCGアニメとしても話題になった「selector infected(spread) WIXOSS」だったりします。というか組んだ佐藤卓哉監督のアニメを「シュタインズ・ゲート」「好きっていいなよ。」と2作視聴していたことから比較がしやすかったわけですが、どちらかと言うとこれまでの岡田麿里シリーズ構成アニメで見かけた特徴というよりは、シュタゲや好きなよで頻出した都会とか少し郊外の街中で繰り広げられる人間ドラマ、というほうが色濃く出ていたように感じます。ここ最近の岡田麿里シリーズ構成アニメからすれば、氏の担当話数が多く、かつ担当話数で出る彼女の色の強さは感じるわけではあるのですが、それが作品全体の面白さとイコールではないというか本質じゃない感じで観ていました。どのアニメもちゃんと分析して観てるわけではないのでアレですが、少なくとも岡田麿里の名前だけが前面に出るべき作品では無かったな、というのを強く感じました。岡田麿里シリーズ構成アニメといえば「アクエリオンEVOL」なんかも、どちらかと言えば総監督の河森正治カラーが強く出ており、他の参加した脚本家も「岡田麿里ならこう書くだろう」と積極的に彼女の色に染まりに行ったりだとかしてましたし、そういう意味では作品全体への影響力は大きいのかもしれませんが、彼女が発案の範囲というのがまちまちなのに単体で大きく扱われるばかりなのはどうなのかな? と最近は思うようになっています。

  • 監督やプロデューサーのやりたいことを形にするタイプの脚本家〜吉田玲子

 もうほぼ語り尽くした気がしますけど、ここからが本題です。あれだけの人気アニメでシリーズ構成を手がけ、現在放送中のSHIROBAKOでも現時点までの話数で6話くらい脚本を書いている吉田玲子です。彼女のシリーズ構成アニメはどの作品でも感じますが、あくまでも原作、あるいは監督やプロデューサーの意向を汲んだ上でテレビアニメとして最適なフォーマットとして出力している、という認識でいます。氏のカラーが無いわけではありません。けいおん!ガルパンに代表されるように女の子同士の掛け合いがとにかく楽しいアニメになる、というのが最も大きな特徴かつ氏のカラーなのだろうと考えています。
 しかし、まあとにかく「吉田玲子」の名前を挙げて語る人の少ないこと少ないこと。その理由は前述のとおりだろうと思うわけですが、それにしても語りにくい脚本家なんだろうな、とは氏のファン目線からも感じています。
 そんな作家性も出さず、自分の色を出さずにオリジナルアニメを作っているのが吉田玲子という脚本家なわけです。シリーズ構成と全話脚本を担当したガルパンでさえ、吉田玲子という名前ではなく水島努監督の名前が前面に出ていたかと思います。つまりは、完全に他人を立てるタイプの脚本家なのだろうと思うわけです。なので、監督やプロデューサーに面白いアイデアが不足していれば即アニメもつまらないものになってしまったりもするリスクも背負っていると思います。彼女のシリーズ構成アニメはとにかく、監督やプロデューサー側にどれだけそのアニメが面白くなるようなアイデアを持っているかどうかにかかっているのではないでしょうか。「たまこまーけっと」では酷評の嵐でしたが「たまこラブストーリー」では絶賛されていたように、彼女自身ではなく監督がどう見せたいのかとか、どう面白くしていきたいのかとかのビジョンがしっかりしてきたのかどうかが、作品の面白さにも反映されているように感じたりします。
 ガルパンでも、吉田玲子脚本が前面に出ていたというよりは、水島努監督や軍事考証の鈴木貴昭さん、バンダイビジュアルでミリタリー系のアニメを主に手掛けている杉山潔プロデューサーあたりがワイワイ言いながらネタを出しあったものをまとめて、かつ萌えを添加させて1クールアニメとしての面白さを打ち出した裏方的な役割に徹していたと思います。SHIROBAKOのシリーズ構成でかつ水島努監督作品に多く参加している横手美智子も近いスタンスの脚本家なのだろうと観ています。
 なので、シリーズ構成として参加しているアニメでも、殊更彼女の名前が出てこないのはそういった事情があるのだろうと考えています。ただ、前述した虚淵玄岡田麿里両氏にしても吉田玲子シリーズ構成アニメのような役割になっていることもありますし、そこのところは分けて考えていきたいかなと思う次第です。

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 とまあ長々と書いてしまいましたが、名前を出して語りたくなるような脚本家と、そう名前が挙がらない脚本家の違いはそこまで大きくないように感じることがあります。なのでもう少し、脚本家で語られやすいアニメではむしろ監督やプロデューサーの履歴を観てみたり、脚本家で語られにくい人だと逆にそこにフォーカスを当てて観てみるのも、新たな発見があるかもしれません。

Who What Who What

Who What Who What

劇場版PSYCHO-PASS、面白かったです。SHIROBAKO3巻、えくそだすっ!1話が収録されてます。観せてもらいましたが面白かったですのでぜひぜひ。