さんかれあOPとEDから読み取れる「意図」と「怖さ」とは

 今期アニメで、OPとEDの演出が抜けていい気がするのが「さんかれあ」だと思ってます。映像的な美しさとか面白さだけではなく、そこで描いている内容であったり曲とのシンクロ具合など本当に素晴らしいと思ってますが、同時に少し怖さも感じてしまいます。
 そこで今回は、そんなさんかれあのOPとEDの映像から読み取れる意図と怖さについて書いて行きたいと思います。ちなみに、6話まで視聴した段階での記事になっておりますのでご了解下さい。

  • 生から死へ還るオープニング

 OPについては、@hidamalarさんが色々と書いて下さっているのでそこも参考にしていただきたいと思います。(参考のTogetter→http://togetter.com/li/304660)だいたい同じように受け取ったんですが、僕個人としては「再生」の物語なのだとしたら何故千紘も礼弥とともに墓に入ってしまうんだろうか?という疑問が湧いてしまいます。
 その手がかりとなるシーンがいくつかあります。

 まずはこの千紘と蘭子がすれ違うシーンです。最初は同じ色の背景から走り出てきたのに、千紘とすれ違うところでぶつかる前に消え、そして千紘はそのまま明るい背景のところを逆方向に走っていきますが、蘭子は影っぽい色の背景のほうに入って姿を現します。これは、蘭子が千紘から相手にされていないことを示しているのと同時に、千紘が目指している世界とも違う世界にいる、という示唆なんでしょう。

 そして次に、蘭子がテニスボールを打ち、それがまるで太陽を割るかのような絵が歌詞とともに描かれています。これも先ほどのシーンに関連していて、蘭子が陰になってしまうのは光があるからで、光の源である太陽を割れば光も陰もなく同じ世界に居られる、という示唆なのかもしれません。
 ただ千紘の側からすれば、礼弥はゾンビで高温などはあまり良くないでしょうし、明るければ礼弥は散華家の人に見つかってしまう。それであればいっそ闇の中のほうがいい、そういう解釈もできそうです。そのためか太陽が割れた世界で千紘がばーぶとともに、出てきた礼弥を連れて行く、という描写に繋がっているような気がします。

 最後ですが、最初は千紘のほうが手を引いていたのが、最後には礼弥が千紘の手を引くようになっていて、空から墓のようなものに降りて入っていく絵で終わってます。
 @hidamalarさんのまとめでは、土に戻っても土に還って再生する→再生の物語だ、という風に書いておられますし、確かに礼弥が死んでゾンビとしてでも蘇ったことは再生のお話とも言えなくもないんですが、礼弥がそこに千紘を連れて入ってしまうところが非常に引っかかってます。
 というのも、千紘は死んでいるわけではありませんし、ゾンビを愛するとは言え礼弥の身体の維持とかそういうところに腐心しているわけで、決して土に還すことを目的にはしていません。なのにOPでは礼弥が千紘を連れて墓に還るかのような描写に……。
 個人的には、礼弥の側へと千紘がどんどん近づいていっているのかな? と感じています。OPの最初で礼弥が暗幕とともにあじさい畑の中へと沈んでいきますし、ばーぶに乗った千紘が礼弥の手を引くところは、最初に沈んだところから上がってきたって感じですし、土の中はすなわち死者の世界ということになるのではないでしょうか。そして地上はもちろん生者の世界ですが、そこから飛んだということは、より高みへという感じから「幸せの絶頂」的な意味のある描き方なのかなと。つまりは、ゾンビとして蘇った礼弥と千紘がつかの間の幸せを噛み締めているけど、それは一瞬で終わりを告げる、あるいは礼弥が終わらせる……という感じに見えてきてしまいます。千紘は礼弥という死者に近づきすぎたために、自らも死に向かってしまっているという示唆のような気がしてしまいます。
 蘭子はそんな千紘を救うべく、テニスボールで太陽を割るところのような試みをしていますが、これは6話で蘭子が「手強すぎるライバル」みたいな感じで礼弥のことを言っていたのとも繋がりそうで、千紘を死に近づける礼弥と生の世界に留まらせたい蘭子との対立軸も描いているように思います。そもそも、ばーぶも死者ですしそれに千紘が乗ってる時点でずいぶんと死者側に近づきすぎているようにも思いますしね。
 と、原作は読んでないのでわからないのですが、OPではこうした死の世界と千紘との距離を、素晴らしい映像と演出とともに巧みに描いているように感じました。

  • 千紘と礼弥、2人だけの世界を描いたエンディング

 OPとEDで大きく異なるのが、ここで描かれているキャラクターです。OPは紹介の意味もあるでしょうが主要キャラがほぼ出てきていますが、EDでは千紘と礼弥の2人だけしか出て来ません。ここから、ここが2人だけの空間であることが、この下の礼弥が後ろ手でポンと壁?を押す動作で扉を閉めるかのような動きにも見えることから伺えると思います。

 そしてあとは礼弥が様々な色の光に照らされて寝そべったり起き上がったりとをAnnabelさんの美しい歌声とともに描いているわけですが……。

 ここのシーンは曲の展開とともに光で描かれたボウリングの球が行き交うような絵になってますが、個人的にはこれが上下どちらにも動いている感じが、魂が行き交っているかのような意図にも見えてしまってます。

 そして、千紘がそんな礼弥を見守っているカットが最後のほうに入ります。目覚めたら君がいて、という歌詞とともに。しかもかなり離れたところから、ばーぶと共に。ここからわかるシチュエーションとはどういったものなのでしょうか。
 この閉鎖的な空間で二人きりというシチュエーションって、実は礼弥と父親のシチュと同じなんですよね。千紘は6話で記録用とか言う名目でビデオカメラ回して礼弥を録ってましたが、アレって礼弥の父親と同じようなことをしているような気がするんですよ。礼弥の父親も礼弥の成長記録を撮りたくてずっとやってきてたわけですから。
 ただし、千紘は礼弥にヌードであることを強いませんし、EDの映像ではカメラとかを持っていないっぽいのでそれを記録として残そうとしてる感じでもなくて、ただ、礼弥がしたいと思うポーズを眺めていただけでした。これが、礼弥にとっても理想の絵なんだろうなあと。礼弥は何も父親のことがそもそも嫌いだったわけではないでしょうし、むしろ強要しすぎないけど一対一の関係が好きなのではないかと思ってます。父親は礼弥の言葉に聞く耳持たなくなってしまったので受け入れられなくなってきましたが、束縛しない程度に溺愛してくれる千紘は礼弥にとっても理想の関係だったのだろうとも思ってます。
 ただ、気になることもあります。それはこの空間に、千紘と礼弥とばーぶしかいないことです。これはOPからの続きでもあるんですが、蘭子とすれ違った後の千紘は、降谷家の人間の頭の上を通ってきたばーぶと合流して礼弥を連れ出していくわけですが、ちょうどその3人がここにいるんですよね。最後に墓のようなものに入る時にはばーぶはいませんが。OPで死者の世界に千紘が引きこまれていく、という話をしましたが、その続きでこのEDを観ると、既に生者の世界ではなく半分かそれ以上死者の世界に入り込んでいるのではないでしょうか? 何せ、ここには死者2の生者は1という閉鎖的な空間ですからね。あと、光の演出などは本当にこの世のものとは思えないような美しさにも見えました。
 ある意味では、礼弥と千紘が気兼ねなく居られる空間というのは降谷家でも外でも、もちろん散華家でもなく、別の世界ではないだろうかとも考えています。そして、この世にいる限りは礼弥の身体は維持し続けることが出来ないわけです。なのでEDのボウリング場はあの世に近いような場所なのではないのかなと思います。誰に邪魔されるわけでもない、2人だけの秘密の場所という意味でもですが、死んでゾンビになった礼弥が普通でいられて、かつ2人の思い出の場所である廃墟となったボウリング場が完成当時のような美しさを見せているあたりも含めると、夢や理想の世界……ひいてはOPで示唆されてた死者の世界なのではないかと考えてしまいました。当たり前のようにばーぶがいるあたりからも伺えると思います。
 このように、EDも個人的にはただ「美しい」だけとは思えない怖さがあるような気がしています。礼弥が凄く綺麗だからそこだけ楽しめばいいじゃん、とも思われるかもしれませんが、Annabelさんの美しくも儚い歌い方がより「ただ美しさだけを描いたわけじゃない」感じを出してくれているのかもしれません。死んでゾンビになって土に還るまでの一瞬の煌きとも言えるのかもしれませんが。

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 原作も読んでないのに変な深読みしすぎて全然意図と違った見方をしてるかもしれませんが、とまあこんな感じで観てしまいました。
 原作のお試し本を読んだ当初の感触としては、もっと軽い感じのゾンビ少女との同棲ラブコメアニメになるのかと思っていたんですが、落ちて腹が裂ける場面もですけど、その後の死後硬直やら腐敗がどうこうというあたりのゾンビものとして深く掘り下げる描き方を観てると、あまり軽いラブコメ的な話でも無いのかな……と先週の6話の放送を観ながら考えてしまいました。ゾンビになってもなお散華家からは礼弥は逃れられなさそうなあたりも含めて。
 内容はともかく、OP/EDの歌とともに描かれるアニメーションは今期No.1ではないでしょうか。曲の展開に合わせた演出もありますし、曲のPVとしての完成度も高いですし、作品内容にも沿った内容ですし、さすがは新房シャフトなどで活躍されていた方だけあって素晴らしいと思います。こういうのを「良い演出」と言うんじゃないかと思ってますがいかがでしょうか。
【参考】
「さんかれあ」1話の兄妹が寄り添うシーンが素晴らしい

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